InAequabilitas

 moneo in reticentia - audi.

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永遠モラトリアム

暇が高じてウェブIQテストを受けていた.こういったウェブIQテストは大抵スコアを高く出して被験者を満足させようとするのが通例である.今日受けたテストでは,総合IQ180,分野別IQで最高値が197という意味のわからない数値を叩き出したが,あまり信用しない方が良い.(分野別IQの最低値が186だったので,そもそもどう計算したら総合が分野別の最低値より低くなるのかよくわからない.)かつて発達障害を疑われてWAISを受けたことがある.その頃は頭の働きが鈍っていたというのもあって,何がどうだったか忘れたが分野別で最高でも120台,最低で100台という数値を出した記憶がある.本音を言うとその時は少しショックであった.今ならもう少しはましな点数が出せそうだが,発達障害の疑いも晴れたことだしWAISを受ける理由がない.
精神科歴もそこそこ積み上げられてきたわけだが,心理検査の類はWAIS一回を受けたのみである.精神医学や心理学をかじっているときにロールシャッハテストであるとかバウムテストであるとかMMPIであるとか色々知って,受けてみたい気が若干していたが,受けさせられる気配すらない.そういえば初入院のときに(家の)枕元に置いてあった本がたまたまロールシャッハの解釈法の本で,それを親が入院中の僕に差し入れようとしたら主治医が「こういうのはあまり読まない方がいいですね…」といって突っ返した(らしい)ので,めちゃくちゃ面白かった.それから主治医(数人変わったが)の前ではあまり精神医学を知らないふりをするようにしている.
とはいえ,真面目に体系だった精神医学の勉強をしたことがないし,大学では医学部の講義に潜ることすらしなかったので,あまり信憑性のない知識群であることは確かだ.どれも雑学的な知識にすぎず,精神医学専門クイズ番組みたいな物好きな企画があったらそこで勝てる程度のものであり,臨床的には役に立たないであろう.
今まで色々な分野の勉強をしてきて,確かに知識が蓄積された感じはするのだが,知るほどにまだ足りない,という気持ちが湧く.「子曰,吾十有五而志于学,三十而立,四十而不惑,五十而知天命,六十而耳順,七十而従心所欲,不踰矩」ということなので,まだ三十にもなっていない僕は「立つ」ことさえできていないわけである.おそらく生き延びて齢を重ねたところで,「立」「不惑」などは専攻した分野のわずかな一部についてのみ成り立ち,他のほぼ全ての分野に関しては「こんなにやったのに何もわからない…」と嘆き続けているに違いない.
どんな学問も,やってみれば楽しい.楽しみを感じられないのは深く知らないからである.僕は生命科学の類にどうしてもアレルギーがあるらしく,散々試験を受けて一応どれも合格してきたはずなのにセントラルドグマも未だに自信を持って説明できないし,ミトコンドリアとかATP合成酵素とか聞き続けると意識もしていないのに頭痛がしてくる(だからこそ薬学に進まなかったのであるが…).けれども少し我慢してもうちょっと深く,真面目に勉強すれば,きっと生命科学も面白くなる.もし人生がやり直せて進学振り分けの点数も今(というか2年次)より10点くらい高いなら,入り直したい学部学科がいくつもある.実際に入った学科にも,生まれ変わったらまた入りたいですね.
本当に,典型的なエニアグラムのタイプ5なんだよな.知識欲で全て駆動されている人間.金さえあれば本が買いたいし,ウィキペディアの関連項目を延々と辿って暇つぶしをする.本が読めなくなった数年間は本気で苦痛だった.2回目くらいの入院時には,縦書きの明朝体を読もうとするとうろこの部分(三角形っぽくなっているところ)と読点が物理的に引っかかる感じがして,集中できない以前に読み進めるのが非常に難しかったのを覚えている.なぜかゴシック体などの他の書体や,横書きは大丈夫だった.気がついたらそれは消えていて,ただ「文字をなぞっているが内容が頭に入ってこない」状態のみが残った.慣れない外国語を読んでいるのよりひどかった.今読んでいる部分は瞬間的には理解できる.しかしそれを理解・記憶しようとすると,前に読んだものの内容を全て忘れてしまうのである.よって何も脳に蓄積されない.よくあんな状態で単位を取れてきたものだと思う.
あのときは「なんで真面目に勉強しないの?」とよく非難されたものだ.真面目に勉強したかったですよ.でも頭になんにも残らないんだから.講義を聞いていても何も繋がる感じがしないし,ひどいときは「せんせいはなにをいっているんだろう」状態だったし.しかし側から見たらそんなことはわからないので,単なるクズの落ちこぼれ学生にしか見えない.劣等感はますます募り,「なんで勉強しないんだ」と自責を重ね,読めない教科書を読んで「自分ゴミだ…」と呟くループ.周りには当然「勉強しないから自業自得」「あいつ何のために大学来てるの」と言われるわけで,端的に言ってつらかった.それでいて頭を使わない活動はちゃんとできるので余計に「ただの勉強嫌いのクズ」にしか見えない.いっそ受験時代みたいに毎日10時間くらい壁を見ていたらなあ.なんにもできなければたぶん病気だと認められて,非難されることもなかったなあ.
そうこうしている間に同期は進級し,卒業し,立派な企業に就職が決まる.しかも人生めちゃくちゃ楽しそうである.僕は永遠モラトリアム.僕だけが取り残されて,進むことも戻ることもできないで立ち尽くしている.僕もゴールドマンサックス入りたかったなあとか,そういうことではない.この「取り残され感」「進めない,戻れない状態」が否応なく正常な精神を圧迫する.高い高いエリートの塔.一歩足を踏み外せば一落千丈.

箱の中の甲虫

死期が近づいてくる足音を聞いている.もうあと1週間もしないで自殺!あまりにも楽しみで,こんなに何かが楽しみなのは久しぶりなくらいだ.すべきことにも集中できず,四六時中自殺のことばかり考えてしまう.思わず笑みがこぼれる.やっと人生から解放される.ああ,楽しい!
以前カフェインを3gODしたときの凄まじい苦痛を思い出している.想像を絶する嘔気,胃を抉られるような痛み.今回の予定量はその5倍超だからなあ,苦痛にのたうち回るのではないだろうか?醜い死,死に場所も決して美しくなどない.けれどそれが僕の紡いできた人生に相応しい.
深い虚無感,暗い自己否定,どうにもならない不信感.「気の持ちようで変わるよ!」といった言葉は飽きるほど投げつけられてきた.お気楽に生きることができてとっても素敵ですね,としか思わない.僕は人格が歪んでいるので,「気」をそのように持てない脳の構造になっています.すみませんでしたー.
親から毎日殴られることもなく,壮絶ないじめを受けることもなく,それなのに今,死だけを希望とする人間に育ちました.出来損ないでほんとうに申し訳ありません.
いじめられなかったわけではないが,クラス全員に無視されたような経験もなければ大金を巻き上げられたこともなく,(身体的に)屈辱的な仕打ちを受けた経験もない.よく聞くいじめ自殺の原因となったいじめに比べたら,全く大したことはないものだ.いじめが原因で死のうと思ったこともない.
はじめは小学校中学年時に,運動神経がないことが原因で数人からいじめられた.同じリレーのグループの子供たちで,僕が原因でリレーで勝つことができないからというのであった.身体的特徴を揶揄されたり,蹴られたり,「死ね」等のベタな罵りを受けたくらいで,影響はといえば未だに自分の外見を忌み嫌っているくらいのものである.ただ,蹴られ続けるのに耐えられずに蹴り返したら,担任が「君も蹴ったんだからおあいこでしょ」というようなことを言ったのは,少し引っかかっている.
次は小学校高学年のときだが,このとき母国と日本の関係が悪化していた.それまで僕は特に民族的アイデンティティ的なものを強く意識したことはなかったのだけれど,たとえ日本生まれの日本育ちであり母語が日本語であっても,周りはガイジンとして扱う.それを強く意識させられた.同級生も,担任も,「国に帰れよ」と叫んでいた.その頃僕は母国語があまり上手でなく,母国に帰ると言葉の壁を感じていたし,少なくとも自分は「日本寄り」なんだと思っていた.いじめられて,僕を受け入れていたはずのコミュニティが唐突に僕を突き放すという現実を見るわけだが,「ああ,そもそも僕は受け入れられたことなど一度もなかったんだな」と思った.勝手に受け入れられたつもりになっていただけで.そして僕は母国に対して愛国主義的になった.だがその後数年かけて,いくら国籍がそこであろうと,愛国主義者であろうと,母国というコミュニティも僕をメンバーとして受け入れることはないことを知る.
帰化した政治家に,自国に対する愛国心を執拗に確認する右翼がいる.くだらないですね.いくら愛国心を誓っても,母国の国籍を捨てたとしても,どうせ受け入れられるはずはないのだ.帰化しないほうがまだましかもしれない.少なくとも母国のコミュニティには所属できる可能性がある.コミュニティに受け入れられようと媚びたところで,お前は結局蚊帳の外.誹謗はされなくなるかもしれないが,そのコミュニティの「自然な」一員となることは,絶対にありえないのだ.
親は僕が中学でいじめられたと思い込んでいるのだが,中学は友達もそれなりにいたし,自傷等の問題行動(自傷自体は物心ついたときからやっていたが,刃物自傷が顕在化したのは中学である)で教師とあまりうまくいっていなかったくらいしか摩擦要素がない.同級生と恋愛したことで,相手と引き離したい親が(エスカレーター式で高校に上がれるところを)中学卒業後に母国に強引に連れていったというのが事実なのであるが,親は「中学でいじめを受けたので母国に帰った」と吹聴して回る.まあその方が見栄えも良く,ほんとうらしく見える.主治医にも親がそう話したらしく,自立支援の診断書には「中学時代いじめを受け(母国)へ転居」と書いてある.僕も僕がほんとうだと思っていることを主治医に話したはずなのだが,まあ一番大きい声でほんとうらしそうなことを語るやつの言い分だけが真実だと認められますからね.仕方ないですね.
親はよく自分の記憶を書き換えているので,ほんとうにそうだと信じ込んでいるのかもしれない.むしろ他の例を見ると,書き換えた後の記憶をほんとうだと心から信じている節がある.あまりにも強固に書き換えた記憶を信じているので,僕の方がたまに自信を失いかける.では僕の記憶が正しいという保証は?統合失調症からくる妄想ではないのか?
統合失調症の診断を受けている僕と精神科に世話になったこともない親を並べたら,100人中100人が親の言い分を信じるであろう.だって僕ですら僕の言い分を信じきれずにいる.それを自覚したからもういちいち訂正して回るようなことはしない.「ほんとうのことなどない,ほんとうらしいことがあるだけだ」.僕は黙って僕の「ほんとう」を殺していく.僕の語る言葉を真に受けると損しますよ.どうでもいいから,早急に,自殺させてくれ.

アトロポスの鋏

あらゆるものをひとつひとつ過去にしていく作業.鋏で退路を切っていく.万が一戻ってきたときに居場所があれば,またずるずると生を引きずってしまう.無様で,惨めで,情けない生.
認知の歪みがなんだ.僕の認知は歪んでなんかねえぞ.
もうやめろ.あらゆる説得も,妨害も,治療も,何一つ意味は持たない.それで気が済むなら別にやっていればいいと思いますが.
苦しいだろうか?つらいだろうか?絶望しているだろうか?確かに以前は苦しく,つらく,絶望していた.今はなんだ.何もない.なんにも,ない.虚無だけがそこに広がっている.それはブラックホールである.虚無を埋めようと何かを投げ込んでも,全て吸い込んで虚無に変えてしまう.投入したものは全部無駄になる.だから,無駄な労力と精力をかけるのはもう終わりにしてください.
人生は壮大な茶番だった.このくだらない茶番劇をまだ観ていたいという奇特なひとびとが何人かいるようだが,役者はもうほとほと嫌気が差したので,おしまいにして舞台裏に引っ込むことにする.
遺書がpdfファイルでUSBメモリに入ってるの,どう考えても面白いな.時代の進化を感じませんか.
こんなことを書いていても何にもならないのに,なぜ書くのだろう.終わりに際して,ひとに話を聞いてもらいたいとなぜ望むのだろう.「僕はちゃんと書いたぞ」「ちゃんと話したぞ」という言い訳の根拠を作るためでもあり,くだらない承認欲求の一形態でもあるのに違いない.果てしないどうでもよさ.
すべきことはある.何もしないでいる.キーボードにまとまらない思考を吐露している.すべきことも全て意味は失われている.「別にやらなくたってどうでもいい」.ブラックホールに吸い込まれて消えていく光.それなのに文章は書かずにはいられないというのは単なる甘えでもあるが,有意味性への最後のしがみつきであるとも言える.実に卑小で,無力な僕の足掻き.虚無の荒波がやってきて,もがく間もなく溺れていく.
そうだ,面白い話しましょう.この間看護師が病室に来て,「体調はどうですか?」と訊ねるので「体調とは…」と返したら,「要するに,死にたい気持ちはどうかということです」と言い直された.「まあ,隙があれば死にたいですね」と言うと,「じゃあ1時間おきの巡視は必要だな…」と言う.その後のやりとりでわかったのだが,普通1時間おきに巡視が来るのは夜間だけで,昼間も1時間ごとに巡視される僕はどうやら特例であるらしかった.「巡視,効果あると思います?」と問われたので,「少なくとも,巡視が来て発見されたら困るから病院では自殺しないようにしようという考えはあります」と正直に答えたところ,巡視は継続になりました.特に落ちはありません.何が面白いんだかわからないですね.
たぶん僕の自殺を徹底的に防ごうと思ったら,衰弱死するまで拘束しておくしかない.衝動的な自殺願望ではないので,「今ある精神の荒波をやりすごせばなんとかなる」問題ではない.非常に厄介な患者だという自覚があり,ほんとうに色々なひとに申し訳ないのだけど,できるだけ早く,確実に自殺することが何より重要な目標である.必ずやり遂げるぞ,えいえいおー.
死ぬ寸前に頭の中で流れる音楽はなんだろう,ということをよく考える.嫌いな音楽だったら,死ぬのを躊躇してしまいそうだな.最近はよく精神科の待合室で流れていた温和なBGMが脳内にかかっているのだけれど,あれなら安心して死ねるだろうか.静寂の中で死ぬのも悪くない.死にまつわる想像ばかりが現実味を帯びて膨らんでいき,現実世界は遥か遠くに引いていってしまった.僕は現実から切り離された大きなしゃぼん玉の中で浮遊している.僕はいったい何を生きているのだろう.もう二度と,現実世界には触れられない気がしている.

二日酔い

人生はクソゲーだというのは,どんなに同意しても同意しきれない主張である.かといってつまらないかというと,まあまあ面白みはある.イージーモード(に見える)ひとがたくさんいる中でハードモードな自分を見て,なんてクソゲーだ,と言っている節はあるだろう.それに一般的に言えばハッピーなイベントよりもそうでないことの方が起こりがちであり,当たりのなかなか出ないパチンコのような(パチンコをやったことがないので適切な比喩かはわからない)「クソゲー」感がある.よくよく考えたら,ゲーム自体あまりした経験がないのでひとが「クソゲー」と言う場合どんな気持ちを込めているのかもわからなかった.専門外の比喩はやめましょうね.
人生の何がそんなに嫌なのか,端的に言えば「生きるのがうまくないので人生自体が嫌い」というところに集約されるような気がしている.要するに「生きる才能がない」.プログラミングの才能がないひとが頑張ってプログラミングを勉強しようとしても,才能がなくて概念を理解できず,自分でコードを書くことができないから嫌になるのと本質的には似ている.もちろんこれは僕に限って正しい話であろう.嫌な出来事が続いて人生が嫌になるひともいるだろうし,毎日同じことの繰り返しばかりで人生に飽きてしまったひともいるはずである.人生が嫌になったわけではないけど自殺を選ぶひともきっと大勢いる.でも僕の場合を考えたら,嫌な出来事が取り除かれたって僕は人生やめたいし,毎日は変化があって別に単調ではない.いま対症療法を施されても,「今後生きなければならない」という条件が途轍もない拒否感を喚起する.
誰もが,夢を見ている.どんなに普通のひとも,どんなに優秀な医師も,みんな一種の夢の中で生きている.僕が見ているのは悪夢には違いないのだろうが,「治療」を受けてその夢を見なくなったとしても,麻酔薬か睡眠薬を打たれて別の夢を見せられるだけの話なのだ.新たな夢が悪夢ではないことなど,誰にも保証できない.
「生きるのをうまくする」ためには,きっと表層だけをなぞることが重要だ.ひとの言動の裏を読もうとすると,コミュニケーションがしづらくなる.ひとの言動は基本額面通り受け取り,ある程度「わかりやすい裏」を読めば,それだけで円滑なコミュニケーションは成立する.「裏の裏」を読もうとすればぎこちなくなってしまう.読んだ「裏の裏」が正しかったかどうかなんて,どうせわかるわけないのだから.
世界を,生活を,ほとんどは疑問を持たずに額面通り受け入れればいい.少し面倒な疑問が首をもたげるときは,「わかりやすい裏」だけ読めばいい.賢しそうなふりをして「裏の裏」を読もうとしたって,答えなどどこにもあるわけないのだ.これでいいのか,あれで合っているのかといちいち不安になってしまう.そんな不安にとらわれて立ち止まってばかりでは,なめらかに生きられない.
全部額面通りに受け取るひと,ある程度の裏を読んですんなりとことをこなすひと,裏を読みすぎて何もできなくなるひとの3種類の人間がいる.裏を読むタイプのひとに「気にするな,相手はそういう意味で言ったんじゃない,考えすぎだ」とアドバイスしたとしても,そうですねといってすぐ裏を読む癖を直すだろうか.それは一種の習慣であり,生活スタイルのようなものである.もはや本人の意思では変化させようがない.生活に,思考に,あまりにも自然に染み付いてしまっているからだ.本人は裏を読む癖をやめたいと思っているかもしれない.だが,一度裏を読む癖がついたら,読まずにいることは非常に困難である.しかもすんなりことをこなすには,ある程度は読まなければならないときた.いつもいつも深読みしてしまうひとは,ある程度ってどのくらいなんだろうと悩むであろう.どのくらいかわかったとしても,ある種の化学反応が途中の段階で止めることができないように,深読みの谷へと転がり落ちていってしまうのは想像に難くない.要するに,深読みを始めたら円滑で双方にとって快適なコミュニケーションは諦めるしかないのである.
生存も同じこと.世界の「裏の裏を読む」癖がついてしまったら,今更読むなというのは単なるきれいごとなのだ.読まない,それができれば話は簡単なんですよ.問題は不可逆的に読んでしまうことなんですよ.
「深読みする癖」のあるひとは「生存がうまくない」.生存の才能とは,すべてを額面通りに受け取りつつ適切なところで少しだけ裏を読む能力である.死にたいひとがみな「生存の才能」がないわけではない.目下道を塞いでいる問題を取り除きさえすれば,なめらかに生きていけるひとは多い.問題とは,たとえば病気であり,たとえば成績不振であり,たとえば恋人がなかなかできないことである.生きる才能がちゃんとあるのなら,生きないのはもったいないし,たぶん本人も問題さえ消え去れば生きていたいのではないだろうか.その問題が解決不能に思えるから,もう前に進めないと思ってしまうのである.もちろんほんとうに解決不能な問題もあるだろうが,それは本人に生きる才能がないことを意味しない.
それなのに僕ときたら,生きる才能が絶望的に失われている.そのうえ,人生に対してなんの執着もない.とすると,人生を終了するしかないですねえ.アセトアルデヒド脱水素酵素が少しでもあるひとは,酒を飲む練習をすれば飲めるようになる.けれど全くないひとは,いくら飲もうが身体が絶対に受け付けないし,命の危険を伴う.酒を飲むことは完全に諦めなければならない.僕はさっぱりと生存を諦めました.どんなに周りが「美味しいぞ」としつこく勧めてこようとも,飲めないものは飲めません.だからもう,僕に生存を勧めるのはやめろ.全て無駄足に終わるだけだ.

超流動

膨大なメールを丁寧に削除していっている.「そんなこともあったな」程度のたんたんとした感想しか浮かばない.「そんなこと」の日常的連鎖は,もうすぐ終わる.それを思うとどうしようもなく楽しくなってくる.
必死に生きてきた.振り返ればどうしてあんなに必死になっていたのかわからないほどに.毎日何時間も壁を見つめ,過去問集は買ったけれど一問も解かず(そもそも開いてすらいない),「第一志望に受からなかったら自殺しよう」と心に決めていたのに,それでも大学受験に向かってなぜか受かってしまった.高校の知識力の残渣と運で合格しただけだったので,大学に入れば周りはみなすごいひとばかり,僕は壁を見つめる生活を引きずっていて勉強などできず,すぐさま深い劣等感に囚われた.「進学振り分けで希望の学科に行けなかったら今度こそ死のう」と思っていたらこれもなぜか第一志望の学科に第一段階ですんなり内定してしまった.学科内定直後に医療保護入院でその学期の単位がまるごとぱあになり,学科進学後はその学期に習っていたはずのことが何もわからないので実験も座学も五里霧中状態.単位はボロボロ落としてゆき,テスト後に周りがピリジンとピロールの話ばかりしているので逃げ出したかった.でも卒業はしなければいけないと思っていた.死にたいと言いながら,どこかでは生きることがデフォルトだった.
何年もわからないまま苦しんで,やっと頭の回転が戻ってきたので集中も理解もできるようになったと思ったら,今度は,今度こそ死ぬんだもんな.側から見たらそりゃ死ぬ理由がないでしょう.僕もそう思う.でも死ぬんですねえ.
「死にたい」ではない.そんな”願望形”ではない.願望ならするもしないもあり得るだろう.だが,これは決定事項であり,義務である.する以外の選択肢は残されていない.主治医は「強制的にやらされるのなら嫌では」といったことを言っていたが,「強制的にやらせている」のはおそらく僕自身であろう.抵抗感も,恐怖も,悲しみもない.
もう必死に生きてなどいない.そんなふうに生きるのはもうごめんだから死ぬのだろうか?それもあるのかもしれない.自殺という目的のみが一人歩きして,理由は置き去りにされていっているような気もする.あまりに複雑な理由と無意識的理由が絡み合っているから,僕にもよくわからなくなっているというのはある.理由はあったのに違いない.けれどもうそんなことはどうでもいいのだ.
死のみがリアル!死のみが希望!僕の駆動力はいま自殺の希望と虚無感!
印象として,たぶん僕は平坦な表情をしてひとり抑鬱に沈んでいるというイメージがあるかもしれない.しかし僕はむしろハッピーに近いし,よく笑っている.看護師が薬の時間になって「お薬…飲まないですか?」というたびに,おかしくて笑いながら「飲みません!」と答えているし,さっきも僕が何やらを隠し持っているのではという疑惑のために看護師が2人病室にガサ入れに来たが,あまりに面白いのでずっと爆笑していた.面白いものは普通に面白く,もうすぐ死ぬけれど買いたいものがあれば遠慮なく買っている.全く自殺志願者らしからぬ振る舞いである.長い間抱えていた色々な悩みは,途方もない虚無感の前にすべて瑣末なものと成り果てた.人並みには悩んでいるかもしれないが,まあ人並み程度の話である.それが原因で死んだりはしない.
どうでもいいのである.何かしたいと思って,そのために努力したりは今でもするが,それが何らかの外的原因によってできないことになっても,まあ別にいいやという感じだ.いわゆる未練というやつは,「やり残したこと」「やりたかったこと」などがあるかという観点においては確かにあるのだけれど,「どうしてもやりたいか」「やらないことで後悔するか」と聞かれればそれはないし,その観点で言えば未練は何もないのかもしれない.とても,とても,さらりとしている.液体ヘリウム並みに粘性がない.
「君が死ぬと悲しいなあ」「親御さんが悲しむよ」などの一般的説得から,「この大学に入った時点で君は貴重な人材なんだから,君がよくても社会的責任があるんだ」という責任論的(?)説得まで,様々なひとが様々な説得の仕方をしてくる.「ご迷惑をおかけしてものすごく申し訳なく思いますが,結論は揺るぎません」というのが僕の返答である.他人を悲しませるという罪悪感,迷惑をかけてはならないという遠慮,能力を活かして社会の役に立つことをしなければという責任感,それらを全て深い海の底に沈めてきてしまったから,もう何も感じないのだ.ただひたすらに,虚無.
どんな妨害をしようとも,僕の決意の強さはあらゆるものに勝る.衝動性は成功を阻害するから,どんなに死を希求していても衝動的にいま死んだりはしない.見回りが1時間おきに来るので発見されてしまうおそれが高いからだ.計画通りに駒を進めていく.たとえ失敗しても,第一希望の方法では死ねなかっただけの話.方法などいくらでもある.何も成し遂げられなかった僕だから,今度こそは.

閉鎖空間,病棟の窓

カーテンを開けると送電鉄塔が見える.空が美しい色をしているときに,送電鉄塔の写真を撮るのが僕の閉鎖病棟での楽しみの一つである.前の入院の時から続けているので,iPhoneの「鉄塔」フォルダにはそれなりの数の写真が溜まった.今回の病室は角度が悪く,ガラスにレンズを押し付けると鉄塔が画面に入らなくなり,かといって浮かすと反射が写り込んでしまうのが難点である.いつも引ききったカーテンを,写真を撮る時だけは開く.右手には送電鉄塔,真っ直ぐ見れば富士山がある.僕の家からは浅間山が見えるが,それとは比較にならないほどはっきりと大きく見える富士山は,少し恐怖心を喚起する.だから富士山の方はあまり見ない.この病棟で,富士山を見ずに送電鉄塔ばかり気にしているのは,僕だけではないだろうかと思う.
最低限の用事以外,病室の外には出ない.他の患者に話しかけられるのが嫌で,怖い.前回入院時に話しかけてきた患者の話に付き合っていたらやたら執着されるようになったのも一因かもしれない.こう見えてお人好しなので,話しかけられると拒否できずに会話に付き合ってしまい,ひたすら消耗するのである.看護師も,他の患者も,僕が日本人ではないと知ると僕の国籍上の母国についての話題ばかり振ってくる.日本生まれの日本育ち,一番得意な言語は日本語であっても,僕はどうしようもなく異質な「ガイジン」なのであった.彼らの親しげな感じが,疎外感を加速する.悪気はないのだろうし,気にする僕の方がおかしいのだが,「普通の」話をしてほしかった.母国に戻ると今度は「日本人」として見られるので,日本のことばかり聞かれる.僕は常に異邦人であり,どこにも帰属できる場所はない.
廊下に出れば,ぼんやりとした表情でゆっくり廊下を彷徨う患者がいたりする.以前の入院時には,大声で脈絡のないことを独語する患者もいた.けれど一般に想像されるような,「精神科病棟特有の異様な空気」みたいなものはあまり感じられない.そこここをよく見ればここは精神科なのだなあという実感が得られることもある.それでもざっと眺めれば,急性期病棟だというのにみんな驚くほど「普通」である.僕が「オカシイ」から異様さを感じ取れないだけだ,という反論はあり得る.
入院生活が隔離室から始まらなかったのは今回が初めてである.隔離室は世間一般の「頭の病院」のイメージに割と近い.今まで入院した病院の隔離室にはすべて鉄格子こそなかったものの,扉は外から鍵が掛けられるし,トイレは自分で流せないし,窓からは何も見えない.部屋の中はただただがらんどうで,余分なものが一切ない.隣人は妙な歌を歌っていたり,昼夜問わずドアを叩き続けたりしている.今回の病院には3度入院しているが,この病院には「外界と一部繋がっている」隔離室があり,窓からは外が見えるし,昼間は廊下に出られるようになっていたり,自分で流せるトイレがついていたりする.前回はそこで包帯による首吊り未遂を起こした.そして数日間身体拘束を受けていた.ベルトで身体をベッドに縛り付けるあれである.感想とはいえば,本当の暇というのが何たるかを知ったので,もう二度と外では「暇です」などと言わないようにしよう,と誓ったくらいである.
クリスマスには夕飯にクリスマスチキンが出るし,正月にはおせち料理が出る.小さなクリスマスパーティーみたいなものが開かれていた記憶もある.時間の流れが欠落したような閉鎖病棟にも,クリスマスや正月はひっそりとやってくる.それがどうしようもなく面白い.

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北落師門

Author:北落師門
死に至るまでのしばらくだけ,文章を書き散らすための場所

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