InAequabilitas

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閉鎖病棟のリアル(一般病床編)

[隔離室編はこの記事]

閉鎖病棟の面白生活のことでも喋ってみましょうかね.現在含めて3回入院した病院についてしか語れないけれど.「閉鎖病棟」とはその名の通り病棟出入り口に鍵がかけられていて自由に出入りができない病棟のことである.出入りが完全にできないわけではなく,状態のマシな患者で医師の許可が出た者は「外出届」を書けば1日のうち決められた時間内は外出することができる.外出範囲も許可が必要で,「周辺のみ」とか「完全自由」とか色々いる.また,現在の僕みたいに同伴ありの場合のみ外出OKという患者もいる.外から来る人間(面会など)も病棟外のインターホンを押して看護師に鍵を開けてもらわないと入れない.外泊(連泊可)ができるひともいて,家に帰ったりするわけだけれど,毎度「外泊中こういう状態だった」みたいな報告の紙を書かなくてはならず,もちろん毎度医師の許可が必要である.外出から帰ると簡単な荷物検査があるが,外泊帰りは特に厳しく,小物入れ的なもの(ペンケースなど)もひとつひとつ開けられてチェックされる.とはいえユルガバであり,割と性善説的なところがある.
部屋には棚(扉付き)があり,そこに私物が入れられる.ベッドサイドチェストにも引き出しがあり,ひとつだけ鍵をかけることができる棚があるので貴重品はそこにしまう.個室には洗面台と冷蔵庫もついている.一般病床は窓がついており,外が見えるが,窓が5cmくらいしか開かないようになっている.ODで内科に入院した時は窓が全開になることに最大のカルチャーショックを感じた.
入浴は男女は別だがもちろん大浴場であり,週3日風呂ありで週3日シャワーのみ,日曜は入浴なし.介助ありと自立に分かれる.風呂の日は時間指定制で,決められた時間枠にあらかじめ予約を入れておく.シャワーの日は適当な感じで入れ替えが行われる.シャワーヘッドは5箇所あるのだが,シャワーが捻って水を出す方式ではなく押しボタン式(一定時間経つと自動的に水が止まるやつ)なので,場所によって放水の持続時間が違う.たとえばここ(急性期病棟)では一番手前の位置が持続時間が非常に短いので,流している途中で頻繁に止まるので鬱陶しい.ドライヤーはナースステーションで毎度借りる.それが面倒なので僕は常に自然乾燥させている.どうせ入浴時間は昼(終了が17時前)だし,濡れた頭で寝て起きたら寝癖が直らない,みたいなことは発生しない.
一般病床の患者は洗濯機と乾燥機が使えて,ナースステーションで専用のコインをもらって投入して使う.もちろん使用するたびに金がかかり,入院費として一緒に払うことになる.洗剤は自前.乾燥機は,外のコインランドリーの乾燥機と同じだと思うが散々回しても全く乾かず無能なので,部屋で工夫して干す方が得策である.面会に来た親族に持ち帰って洗濯してもらっても構わない.乾燥機を回し終わっても放置し続けるとナースステーションから「左側の乾燥機終わっています,使用している方は取りにいらしてください」と放送が流れることになる.
病院というとみんな病衣を着ていそうだが,一般病床の患者は持ち込みのパジャマや普段着を着ることもできて,そうすると病衣レンタル料が浮く.病衣,前までは浴衣型だったが今回からトレーナーみたいなのに変わっている.今でこそ慣れたけど初めて浴衣型病衣着る羽目になったときどこをどう留める(結ぶ)のか全然わからなくて看護師に苦笑されましたね.
食事は7:30と12:00と18:00,毎日きっちり三食.たまにメニューが二択で選べる日がある.ただし片方は毎食自己負担20円程度かかる.内容的に一番近いのは小学校の給食で,とにかく健康そのもの.まずくもないが,楽しみにするほどうまいわけでもない.白米・味噌汁・食パン・みかんがダントツで多いですかね.配膳車の前に並んで一人一人受け取り(どれも同じに見えるのだが,全てに名札が置いてある),食べ終われば配膳車に自分で下げる.ときどき肥満食とか糖尿食とか特別メニューのひとがいる.基本的に部屋で食べることはできず,ホールでみんなで食べている.ひとがたくさんいるところで食事をするのが個人的に苦手なので,少し遅れてひとが少なくなった頃を見計らって行くのだが,特に怒られることはない.あんまり遅く行こうとすると部屋に看護師が「ごはんですよ〜」と呼びに来る.因みに行くのが遅いと食事がナースステーションに置かれていることがあり,「食事お願いします…」と声をかけて受け取る羽目になる.
点灯は6:30,消灯は21:00,これもまた健康生活そのものである.ただし消灯後も電気が自分で点けられるので,個室にかこつけて消灯後も電気を点けて色々やっているわけだが,夜間の1時間毎の巡視(これは全患者がされる)が来ると時々「まだ寝ないの?」とか「眠剤いりますか?」とか聞かれることがある.特に入院直後はよく心配される.眠剤が飲めるのは午前3時まで.21時の消灯後しばらく寝られないからといってすぐもらいに行っても問題はないが,向こうから勧めてくるのは0時以降である.
持ち込み不可のものはさすがに精神科病棟なので色々あって,爪切りに至る刃物類はもちろんダメだし,裁縫道具,電子タバコを含むタバコ類とタバコ関連グッズ,常備薬や市販薬(含サプリメント),工具類,酒類がだいたいダメなところ.病棟で爪切りや剃刀を(正当な目的で)使いたくなった場合,ナースステーションに借りにいくわけなのだけれど,そのときに書く紙が「危険物使用申請書」みたいな名前で「ここでは爪切りも危険物なんだな…うん…」と感慨深くなる.スマホやPCは意外と禁止されておらず,PCを持ち込むひとは少なそうだが,僕は業務上必要なので現にPCを使用している.ただ,WiFiなど飛んでいるはずもないので,スマホのデータ通信量が凄まじいことになる.以前5GBの契約をしていて半月足らずで速度制限を食らった.現在僕が契約しているキャリアは通信速度を落とすがデータ消費量ほぼゼロという機能を提供しているので,それを活用すれば契約データ容量内でもやりくりできるが,そうでなければポケットWiFiをレンタルするのがよいだろう.精神科の入院,大抵月単位なので.娑婆でそんなに通信量多くないというひとでも,病棟内はひたすら暇なため本を差し入れられるのでなければスマホをやるしかすることがなく,娑婆での通信量を基準に考えると詰む.
ただし病状によっては通信に制限がある場合があり,そういうひとは携帯電話も持ち込み不可だし病棟の公衆電話も使えなかったりする.とはいっても入院時に渡される書類に「はがき・封書の発信・受信は制限されない」(どんな病状でも,どこの病院でも)と明記してある.当然ではあるが封書に異物が封入されていると判断された場合は患者立会いのもとで開封されることがある.
任意入院の場合,開放処遇は原則的に制限なしとなる(外出時間内なら申請すれば一人でどこへでも行ける)が,一部制限される場合もある.理由としては「言動が患者の予後等に著しく悪影響を与える(実質的には「他の患者とトラブルを起こしている状態」)」と「自傷・自殺企図のおそれがある」とその他必要な場合である.医療保護入院や措置入院では開放処遇が制限なしであることは少ないだろう.僕は今まで開放処遇が一切制限なしだったことはないですね.もちろん理由は二つ目のやつですが.
あとたぶんみんながいつも楽しみにしているの,おやつとかだろうか.スナック菓子や清涼飲料水が持ち込み・差し入れ可で,個室でない部屋には冷蔵庫がないので冷蔵庫に入れたければホールにある共用冷蔵庫で管理してもらうことになる.管理しているのはスタッフなので,賞味期限が切れたりすると問答無用で捨てられる.それと,全てに名前を書かないと行方不明になる.
金銭はスタッフに管理してもらうパターンと自己管理のパターンがある.スタッフに管理してもらうようにすると,使いたいときにいちいち申請して「配給」されなければならないし,小遣い管理料というのが発生して使ってもいない金が減衰していくので悲しみが深い(厳密には小遣い管理料は預けた金から引かれるのではなく入院費として請求されるため,預けた金は使わなければ減衰しないが).大金を所持しておこうとしたことがないのでわからないが,おそらく大金の所持は止められるだろう.キャッシュカードを持っていて外出ができるのであれば,それだけで事足りる.
隔離室について書こうと思ったらあまりに長くなりすぎたので,分けることにする.隔離室の生活,コンテンツ性の宝庫なので乞うご期待.(誰も見てない)

永遠モラトリアム

暇が高じてウェブIQテストを受けていた.こういったウェブIQテストは大抵スコアを高く出して被験者を満足させようとするのが通例である.今日受けたテストでは,総合IQ180,分野別IQで最高値が197という意味のわからない数値を叩き出したが,あまり信用しない方が良い.(分野別IQの最低値が186だったので,そもそもどう計算したら総合が分野別の最低値より低くなるのかよくわからない.)かつて発達障害を疑われてWAISを受けたことがある.その頃は頭の働きが鈍っていたというのもあって,何がどうだったか忘れたが分野別で最高でも120台,最低で100台という数値を出した記憶がある.本音を言うとその時は少しショックであった.今ならもう少しはましな点数が出せそうだが,発達障害の疑いも晴れたことだしWAISを受ける理由がない.
精神科歴もそこそこ積み上げられてきたわけだが,心理検査の類はWAIS一回を受けたのみである.精神医学や心理学をかじっているときにロールシャッハテストであるとかバウムテストであるとかMMPIであるとか色々知って,受けてみたい気が若干していたが,受けさせられる気配すらない.そういえば初入院のときに(家の)枕元に置いてあった本がたまたまロールシャッハの解釈法の本で,それを親が入院中の僕に差し入れようとしたら主治医が「こういうのはあまり読まない方がいいですね…」といって突っ返した(らしい)ので,めちゃくちゃ面白かった.それから主治医(数人変わったが)の前ではあまり精神医学を知らないふりをするようにしている.
とはいえ,真面目に体系だった精神医学の勉強をしたことがないし,大学では医学部の講義に潜ることすらしなかったので,あまり信憑性のない知識群であることは確かだ.どれも雑学的な知識にすぎず,精神医学専門クイズ番組みたいな物好きな企画があったらそこで勝てる程度のものであり,臨床的には役に立たないであろう.
今まで色々な分野の勉強をしてきて,確かに知識が蓄積された感じはするのだが,知るほどにまだ足りない,という気持ちが湧く.「子曰,吾十有五而志于学,三十而立,四十而不惑,五十而知天命,六十而耳順,七十而従心所欲,不踰矩」ということなので,まだ三十にもなっていない僕は「立つ」ことさえできていないわけである.おそらく生き延びて齢を重ねたところで,「立」「不惑」などは専攻した分野のわずかな一部についてのみ成り立ち,他のほぼ全ての分野に関しては「こんなにやったのに何もわからない…」と嘆き続けているに違いない.
どんな学問も,やってみれば楽しい.楽しみを感じられないのは深く知らないからである.僕は生命科学の類にどうしてもアレルギーがあるらしく,散々試験を受けて一応どれも合格してきたはずなのにセントラルドグマも未だに自信を持って説明できないし,ミトコンドリアとかATP合成酵素とか聞き続けると意識もしていないのに頭痛がしてくる(だからこそ薬学に進まなかったのであるが…).けれども少し我慢してもうちょっと深く,真面目に勉強すれば,きっと生命科学も面白くなる.もし人生がやり直せて進学振り分けの点数も今(というか2年次)より10点くらい高いなら,入り直したい学部学科がいくつもある.実際に入った学科にも,生まれ変わったらまた入りたいですね.
本当に,典型的なエニアグラムのタイプ5なんだよな.知識欲で全て駆動されている人間.金さえあれば本が買いたいし,ウィキペディアの関連項目を延々と辿って暇つぶしをする.本が読めなくなった数年間は本気で苦痛だった.2回目くらいの入院時には,縦書きの明朝体を読もうとするとうろこの部分(三角形っぽくなっているところ)と読点が物理的に引っかかる感じがして,集中できない以前に読み進めるのが非常に難しかったのを覚えている.なぜかゴシック体などの他の書体や,横書きは大丈夫だった.気がついたらそれは消えていて,ただ「文字をなぞっているが内容が頭に入ってこない」状態のみが残った.慣れない外国語を読んでいるのよりひどかった.今読んでいる部分は瞬間的には理解できる.しかしそれを理解・記憶しようとすると,前に読んだものの内容を全て忘れてしまうのである.よって何も脳に蓄積されない.よくあんな状態で単位を取れてきたものだと思う.
あのときは「なんで真面目に勉強しないの?」とよく非難されたものだ.真面目に勉強したかったですよ.でも頭になんにも残らないんだから.講義を聞いていても何も繋がる感じがしないし,ひどいときは「せんせいはなにをいっているんだろう」状態だったし.しかし側から見たらそんなことはわからないので,単なるクズの落ちこぼれ学生にしか見えない.劣等感はますます募り,「なんで勉強しないんだ」と自責を重ね,読めない教科書を読んで「自分ゴミだ…」と呟くループ.周りには当然「勉強しないから自業自得」「あいつ何のために大学来てるの」と言われるわけで,端的に言ってつらかった.それでいて頭を使わない活動はちゃんとできるので余計に「ただの勉強嫌いのクズ」にしか見えない.いっそ受験時代みたいに毎日10時間くらい壁を見ていたらなあ.なんにもできなければたぶん病気だと認められて,非難されることもなかったなあ.
そうこうしている間に同期は進級し,卒業し,立派な企業に就職が決まる.しかも人生めちゃくちゃ楽しそうである.僕は永遠モラトリアム.僕だけが取り残されて,進むことも戻ることもできないで立ち尽くしている.僕もゴールドマンサックス入りたかったなあとか,そういうことではない.この「取り残され感」「進めない,戻れない状態」が否応なく正常な精神を圧迫する.高い高いエリートの塔.一歩足を踏み外せば一落千丈.

アトロポスの鋏

あらゆるものをひとつひとつ過去にしていく作業.鋏で退路を切っていく.万が一戻ってきたときに居場所があれば,またずるずると生を引きずってしまう.無様で,惨めで,情けない生.
認知の歪みがなんだ.僕の認知は歪んでなんかねえぞ.
もうやめろ.あらゆる説得も,妨害も,治療も,何一つ意味は持たない.それで気が済むなら別にやっていればいいと思いますが.
苦しいだろうか?つらいだろうか?絶望しているだろうか?確かに以前は苦しく,つらく,絶望していた.今はなんだ.何もない.なんにも,ない.虚無だけがそこに広がっている.それはブラックホールである.虚無を埋めようと何かを投げ込んでも,全て吸い込んで虚無に変えてしまう.投入したものは全部無駄になる.だから,無駄な労力と精力をかけるのはもう終わりにしてください.
人生は壮大な茶番だった.このくだらない茶番劇をまだ観ていたいという奇特なひとびとが何人かいるようだが,役者はもうほとほと嫌気が差したので,おしまいにして舞台裏に引っ込むことにする.
遺書がpdfファイルでUSBメモリに入ってるの,どう考えても面白いな.時代の進化を感じませんか.
こんなことを書いていても何にもならないのに,なぜ書くのだろう.終わりに際して,ひとに話を聞いてもらいたいとなぜ望むのだろう.「僕はちゃんと書いたぞ」「ちゃんと話したぞ」という言い訳の根拠を作るためでもあり,くだらない承認欲求の一形態でもあるのに違いない.果てしないどうでもよさ.
すべきことはある.何もしないでいる.キーボードにまとまらない思考を吐露している.すべきことも全て意味は失われている.「別にやらなくたってどうでもいい」.ブラックホールに吸い込まれて消えていく光.それなのに文章は書かずにはいられないというのは単なる甘えでもあるが,有意味性への最後のしがみつきであるとも言える.実に卑小で,無力な僕の足掻き.虚無の荒波がやってきて,もがく間もなく溺れていく.
そうだ,面白い話しましょう.この間看護師が病室に来て,「体調はどうですか?」と訊ねるので「体調とは…」と返したら,「要するに,死にたい気持ちはどうかということです」と言い直された.「まあ,隙があれば死にたいですね」と言うと,「じゃあ1時間おきの巡視は必要だな…」と言う.その後のやりとりでわかったのだが,普通1時間おきに巡視が来るのは夜間だけで,昼間も1時間ごとに巡視される僕はどうやら特例であるらしかった.「巡視,効果あると思います?」と問われたので,「少なくとも,巡視が来て発見されたら困るから病院では自殺しないようにしようという考えはあります」と正直に答えたところ,巡視は継続になりました.特に落ちはありません.何が面白いんだかわからないですね.
たぶん僕の自殺を徹底的に防ごうと思ったら,衰弱死するまで拘束しておくしかない.衝動的な自殺願望ではないので,「今ある精神の荒波をやりすごせばなんとかなる」問題ではない.非常に厄介な患者だという自覚があり,ほんとうに色々なひとに申し訳ないのだけど,できるだけ早く,確実に自殺することが何より重要な目標である.必ずやり遂げるぞ,えいえいおー.
死ぬ寸前に頭の中で流れる音楽はなんだろう,ということをよく考える.嫌いな音楽だったら,死ぬのを躊躇してしまいそうだな.最近はよく精神科の待合室で流れていた温和なBGMが脳内にかかっているのだけれど,あれなら安心して死ねるだろうか.静寂の中で死ぬのも悪くない.死にまつわる想像ばかりが現実味を帯びて膨らんでいき,現実世界は遥か遠くに引いていってしまった.僕は現実から切り離された大きなしゃぼん玉の中で浮遊している.僕はいったい何を生きているのだろう.もう二度と,現実世界には触れられない気がしている.

超流動

膨大なメールを丁寧に削除していっている.「そんなこともあったな」程度のたんたんとした感想しか浮かばない.「そんなこと」の日常的連鎖は,もうすぐ終わる.それを思うとどうしようもなく楽しくなってくる.
必死に生きてきた.振り返ればどうしてあんなに必死になっていたのかわからないほどに.毎日何時間も壁を見つめ,過去問集は買ったけれど一問も解かず(そもそも開いてすらいない),「第一志望に受からなかったら自殺しよう」と心に決めていたのに,それでも大学受験に向かってなぜか受かってしまった.高校の知識力の残渣と運で合格しただけだったので,大学に入れば周りはみなすごいひとばかり,僕は壁を見つめる生活を引きずっていて勉強などできず,すぐさま深い劣等感に囚われた.「進学振り分けで希望の学科に行けなかったら今度こそ死のう」と思っていたらこれもなぜか第一志望の学科に第一段階ですんなり内定してしまった.学科内定直後に医療保護入院でその学期の単位がまるごとぱあになり,学科進学後はその学期に習っていたはずのことが何もわからないので実験も座学も五里霧中状態.単位はボロボロ落としてゆき,テスト後に周りがピリジンとピロールの話ばかりしているので逃げ出したかった.でも卒業はしなければいけないと思っていた.死にたいと言いながら,どこかでは生きることがデフォルトだった.
何年もわからないまま苦しんで,やっと頭の回転が戻ってきたので集中も理解もできるようになったと思ったら,今度は,今度こそ死ぬんだもんな.側から見たらそりゃ死ぬ理由がないでしょう.僕もそう思う.でも死ぬんですねえ.
「死にたい」ではない.そんな”願望形”ではない.願望ならするもしないもあり得るだろう.だが,これは決定事項であり,義務である.する以外の選択肢は残されていない.主治医は「強制的にやらされるのなら嫌では」といったことを言っていたが,「強制的にやらせている」のはおそらく僕自身であろう.抵抗感も,恐怖も,悲しみもない.
もう必死に生きてなどいない.そんなふうに生きるのはもうごめんだから死ぬのだろうか?それもあるのかもしれない.自殺という目的のみが一人歩きして,理由は置き去りにされていっているような気もする.あまりに複雑な理由と無意識的理由が絡み合っているから,僕にもよくわからなくなっているというのはある.理由はあったのに違いない.けれどもうそんなことはどうでもいいのだ.
死のみがリアル!死のみが希望!僕の駆動力はいま自殺の希望と虚無感!
印象として,たぶん僕は平坦な表情をしてひとり抑鬱に沈んでいるというイメージがあるかもしれない.しかし僕はむしろハッピーに近いし,よく笑っている.看護師が薬の時間になって「お薬…飲まないですか?」というたびに,おかしくて笑いながら「飲みません!」と答えているし,さっきも僕が何やらを隠し持っているのではという疑惑のために看護師が2人病室にガサ入れに来たが,あまりに面白いのでずっと爆笑していた.面白いものは普通に面白く,もうすぐ死ぬけれど買いたいものがあれば遠慮なく買っている.全く自殺志願者らしからぬ振る舞いである.長い間抱えていた色々な悩みは,途方もない虚無感の前にすべて瑣末なものと成り果てた.人並みには悩んでいるかもしれないが,まあ人並み程度の話である.それが原因で死んだりはしない.
どうでもいいのである.何かしたいと思って,そのために努力したりは今でもするが,それが何らかの外的原因によってできないことになっても,まあ別にいいやという感じだ.いわゆる未練というやつは,「やり残したこと」「やりたかったこと」などがあるかという観点においては確かにあるのだけれど,「どうしてもやりたいか」「やらないことで後悔するか」と聞かれればそれはないし,その観点で言えば未練は何もないのかもしれない.とても,とても,さらりとしている.液体ヘリウム並みに粘性がない.
「君が死ぬと悲しいなあ」「親御さんが悲しむよ」などの一般的説得から,「この大学に入った時点で君は貴重な人材なんだから,君がよくても社会的責任があるんだ」という責任論的(?)説得まで,様々なひとが様々な説得の仕方をしてくる.「ご迷惑をおかけしてものすごく申し訳なく思いますが,結論は揺るぎません」というのが僕の返答である.他人を悲しませるという罪悪感,迷惑をかけてはならないという遠慮,能力を活かして社会の役に立つことをしなければという責任感,それらを全て深い海の底に沈めてきてしまったから,もう何も感じないのだ.ただひたすらに,虚無.
どんな妨害をしようとも,僕の決意の強さはあらゆるものに勝る.衝動性は成功を阻害するから,どんなに死を希求していても衝動的にいま死んだりはしない.見回りが1時間おきに来るので発見されてしまうおそれが高いからだ.計画通りに駒を進めていく.たとえ失敗しても,第一希望の方法では死ねなかっただけの話.方法などいくらでもある.何も成し遂げられなかった僕だから,今度こそは.

閉鎖空間,病棟の窓

カーテンを開けると送電鉄塔が見える.空が美しい色をしているときに,送電鉄塔の写真を撮るのが僕の閉鎖病棟での楽しみの一つである.前の入院の時から続けているので,iPhoneの「鉄塔」フォルダにはそれなりの数の写真が溜まった.今回の病室は角度が悪く,ガラスにレンズを押し付けると鉄塔が画面に入らなくなり,かといって浮かすと反射が写り込んでしまうのが難点である.いつも引ききったカーテンを,写真を撮る時だけは開く.右手には送電鉄塔,真っ直ぐ見れば富士山がある.僕の家からは浅間山が見えるが,それとは比較にならないほどはっきりと大きく見える富士山は,少し恐怖心を喚起する.だから富士山の方はあまり見ない.この病棟で,富士山を見ずに送電鉄塔ばかり気にしているのは,僕だけではないだろうかと思う.
最低限の用事以外,病室の外には出ない.他の患者に話しかけられるのが嫌で,怖い.前回入院時に話しかけてきた患者の話に付き合っていたらやたら執着されるようになったのも一因かもしれない.こう見えてお人好しなので,話しかけられると拒否できずに会話に付き合ってしまい,ひたすら消耗するのである.看護師も,他の患者も,僕が日本人ではないと知ると僕の国籍上の母国についての話題ばかり振ってくる.日本生まれの日本育ち,一番得意な言語は日本語であっても,僕はどうしようもなく異質な「ガイジン」なのであった.彼らの親しげな感じが,疎外感を加速する.悪気はないのだろうし,気にする僕の方がおかしいのだが,「普通の」話をしてほしかった.母国に戻ると今度は「日本人」として見られるので,日本のことばかり聞かれる.僕は常に異邦人であり,どこにも帰属できる場所はない.
廊下に出れば,ぼんやりとした表情でゆっくり廊下を彷徨う患者がいたりする.以前の入院時には,大声で脈絡のないことを独語する患者もいた.けれど一般に想像されるような,「精神科病棟特有の異様な空気」みたいなものはあまり感じられない.そこここをよく見ればここは精神科なのだなあという実感が得られることもある.それでもざっと眺めれば,急性期病棟だというのにみんな驚くほど「普通」である.僕が「オカシイ」から異様さを感じ取れないだけだ,という反論はあり得る.
入院生活が隔離室から始まらなかったのは今回が初めてである.隔離室は世間一般の「頭の病院」のイメージに割と近い.今まで入院した病院の隔離室にはすべて鉄格子こそなかったものの,扉は外から鍵が掛けられるし,トイレは自分で流せないし,窓からは何も見えない.部屋の中はただただがらんどうで,余分なものが一切ない.隣人は妙な歌を歌っていたり,昼夜問わずドアを叩き続けたりしている.今回の病院には3度入院しているが,この病院には「外界と一部繋がっている」隔離室があり,窓からは外が見えるし,昼間は廊下に出られるようになっていたり,自分で流せるトイレがついていたりする.前回はそこで包帯による首吊り未遂を起こした.そして数日間身体拘束を受けていた.ベルトで身体をベッドに縛り付けるあれである.感想とはいえば,本当の暇というのが何たるかを知ったので,もう二度と外では「暇です」などと言わないようにしよう,と誓ったくらいである.
クリスマスには夕飯にクリスマスチキンが出るし,正月にはおせち料理が出る.小さなクリスマスパーティーみたいなものが開かれていた記憶もある.時間の流れが欠落したような閉鎖病棟にも,クリスマスや正月はひっそりとやってくる.それがどうしようもなく面白い.

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北落師門

Author:北落師門
死に至るまでのしばらくだけ,文章を書き散らすための場所

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