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InAequabilitas

 moneo in reticentia - audi.

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消失

いよいよ自殺が迫り来る.あまりに楽しみなので躁状態になっており,カフェインをプチODしたわけでもないのにテンションが高い状態が続き,多弁(といっても喋り止まないのではなくツイートが止まらないだけだが)で,些細なことで苛々する.死ぬ直前の人間は必ずしも抑鬱状態にあるわけではない.
今更最後に付き合った(?)相手から連絡が来て,会いたい,もう一度ヤりたい,という.酔っているわけではなさそうだが,いわゆる深夜テンションというやつであろう,「愛してる」などと宣うのが面白い.その手には乗らんぞ(笑).何を言われようと靡かない鋼の精神力を今の僕は持ち合わせている(ただし,中身が空っぽなので叩くと凹む).
死の直前が閉鎖病棟生活なので,思い出される新鮮な記憶がほとんど閉鎖病棟のことばかり.窓の外に聳え立つ送電鉄塔,根気よく僕に薬を飲むよう説得を続ける看護師たち,5cmしか開かない窓,夜間巡視の照らす懐中電灯の光,ビニールみたいなインゲン豆,冬の冷気で固まってパンに塗りにくいマーガリン,いつも変なふうに切れるトイレットペーパー,大学が一緒なので大学ネタでよく盛り上がる主治医の回診.何もかもが映画で見たワンシーンのよう.鮮明な記憶ではあるが,現実感が伴わない.
ツイッター(公開アカウントの一つ,現在は非公開)でフォロワーを振り切ろうと2日前くらいから政治ネタ・メンヘラ度の主張・学歴自慢・反社会的言説の投稿を繰り返してみせているが,一向に元々1200台だったフォロワー数が1200を切る気配がないので,人間のスルースキルは想像以上に高いものであるらしい.このアカウント,ずっと丁寧で明るい健常者,しかも政治や宗教など敏感な話はしない,のふりをし続けていたのに,豹変してもみんなついてくるのでよくわからない.ミュートも相当されていそうだが,通知は頻繁に来る.つまりなぜかこんな敵意剥き出しのツイートをちゃんと見ているひとも割といるということである.人間は不思議.
逆にある種のメンヘラポルノと化しているのであろう.僕が発狂していても画面を挟んで眺めていれば単に動物園の猛獣を檻越しに見ているのと同じで,自分は絶対的に安全だ.ただの「なんかウケること言ってるひと」に過ぎず,僕の自殺も重みはない.無料で観られるポルノショーである.刺激的な娯楽の一種に過ぎない.そういうものに成り下がっている.好奇の目で見られるのは昔から慣れているので,別になんとも思わないのだが.
いま過去を振り返っても,罪悪感と恥は感じるが感傷的になって涙が流れることは全くない.今まで積み上げて来たものを全て突き崩すことは,なんら悲哀を伴わない.けれども僕が死んだ後に残されるモノを思うと少し感傷的になる.祖父が死んだ後祖父の部屋に残された使いかけの大人用オムツや,吸われていないタバコや,食べかけの菓子を見た時に感じた,「モノが宙吊りになっている」感覚が原点にある.それらのモノには(少なくとも暫定的には)行き場所がない.僕の場合は壁一面を埋め尽くす本棚の本,愛用のMacbook Pro,病室の棚や冷蔵庫に残っている差し入れの食べ物などが,宙吊りになって行き場所を失うだろう.それらは一体どうなるのだろうか.本はタダ同然でブックオフやヤフオクに売り払われ,PCはリセットされて全てのデータが消え去り,まあ食べ物は誰かが食べるであろう.だからなんだというのか.少し深く突き詰めようとすると一体何がそんなに悲しいのかわからない.どうせ死んだら何も知覚できないんだぞ.売り払われる本やリセットされるPCを実際に見ることはないんだぞ.
宙吊りになるのは残されたひとびとの感情も同じであるのに,それには全く感傷的な気持ちを抱かない.まあ,本質的に冷血的で自己中心的だから当然なのかもしれない.僕に向けられる期待や関心は,僕が存在しなくなることによって行き先を失う.的に当たることなく落下していくダーツ.
もうすぐ死ぬのだからもう少し気の利いたことを書きたいのに,くだらない思いばかりがつらつらと綴られる.気の利いた人生だったらまともそうなことを言えていたかもしれない.でも僕の人生はくだらなさで彩られている.くだらなさしか詰まっていない袋から有意義な言葉を取り出すのは不可能である.今無理に有意義そうな文章を錬成したとしても,それは全くのフェイクに過ぎない.死の間際くらい,率直でありたいと願った.それでも他人と面と向かったらフェイクばかりを吐いている.それは嘘をついているということと同値ではない.例えば“e”を一切使わずに小説を書くとしたら(実際フランス文学でそのような小説は存在する),確かに文法的に正しい小説は書けるだろうが,作家が自由闊達に想像を働かせてそれを自在に文章に落とし込むということはできなくなる.使おうとした単語がeを含むならそれは避けなければならないのだから.嘘ではないが,リアルではない.
それではここにリアルはあるのか?「本当の」リアルではないにしても,僕が「リアルだと思い込んでいるもの」ではあるだろう.「絶対的リアル」など存在するのか?世界は「ほんとうらしいこと」の総体に過ぎないのではなかったか? (「ほんとうらしいこと」の総体に堕した世界のなかで,僕はいったいどこに浮かべばよかったのだろう.)
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