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InAequabilitas

 moneo in reticentia - audi.

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低体温症

みんな,なぜこんな無意味な人生に,無意味な世界に,平然とした顔をしていられるのだろう.それどころか豊かな「意味」を見出し,充実した人生を生きているらしい.全ては無意味だと,疑ったことはないのだろうか.疑ったとしてもその疑念はすぐに「思い過ごしだ」と破棄されるのだろうか.それが思い過ごしだと思えないとき,世界は暗転する.
「意味なんかなくたっていい,生きていればそれでいい」とはよく聞く言葉であるが,なぜそこまで生は肯定されているのだろう.「意味なんかなくてもいい」ひとびとだって,目先の楽しみに刹那的な意味を見出して日々生きているのではないか.たとえばあのアニメの二期がやるからだとか,なんとかの新作が出るまでは死ねないとか,それはよくある主張であり,それはそれでいいと思う.ちっぽけな意味(だと思っているの)だとしても,意味は意味だ.それが自分にとって重要なら,誰がなんと言おうとそれは重要なのだ.
買い物欲を抑えるために,ノートに買いたいものを書き出してこうこうこういう理由から今は買わない,という決断をしていたひとが,最終的に「なくても死なない」という理由に全て落ち込んでしまい,何も買わなくていいような気がしてきた,という話を見たことがある.「なくても死なない」と言い出したら,贅沢品は何も買えなくなる.けれど何も買わない,無駄遣いの楽しみを放棄するというのは,人生を痩せ細らせる.確かに決定は合理的であり,理由も何も間違ってはいない.しかしそれは氷の城に住むことに等しく,つるつるとした床は滑ってしまい前に進むことができない.まさに,生きるには「ざらざらした大地に戻」らなくてはならないのである.
ほんとうに,何にも意味がないんだと信じることは,全て理想的条件下の数値を用いて理論を構築することに似ている.確かに,それはひとつの正しい解なのかもしれない.しかし現実には空気抵抗があり,分子間相互作用があり,非線形の温度依存性があったりする.それらを考慮しなければ,現実の問題は解けない.
けれどもその理論は間違っているというべきか?理想的条件によって導かれた理論も,現象を記述する「正しい」理論に間違いはないのだ.極北は,誰もそこへ行きたがらない極寒の地であるかもしれない.それでも極北もまた確かに存在する場所だということに違いはない.だが,理論には実験が必要である.多少美しくない式が出てきても,実験による経験則のほうが現象をうまく説明することもある.
それは重々承知している.それなのに,僕はこの理詰めの氷の城から抜け出すことができない.抜け出すために前に進もうとも,摩擦がないから扉に辿り着くこともできない.僕に見えているのは,氷の床と氷の壁と氷の尖塔だけだ.それが僕の世界の全てなのだ.
「ざらざらした大地に戻」れば生きられるのかもしれない.みんなはそこで健やかに歩みを進めている.けれど僕は自らが築き上げた氷の城を破壊する気はないし,一歩抜ければ「ざらざらした大地」が広がっているとも思えない.きっとここは極北の地,城の外も果てしなく氷が覆い尽くしているだろう.草木が生い茂り暖かな太陽が照らす大地は,あまりにも遠すぎる.
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