InAequabilitas

 moneo in reticentia - audi.

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ひねくれちまつた悲しみに

電車の中で突如として訪れる得体の知れない不安。周りに黙って立つ人々が何か不気味な存在のように思えるとき、彼らはみな並列分散処理型コンピュータなのだと考えてみるとじわりと不可思議な親近感が全身を浸していくのを感じる。それは単なる気休めに過ぎないのではないかもしれない。
絶え間ない騒音は、それを遮蔽し聴覚の外部へと追いやろうとする認識の中へと侵蝕する。自我の境界を見失うほどに。だからこそ僕らは適度な静寂を求める。希薄な音の中で聴覚は緊張をほどく。しかし透明すぎる静寂は、あまりにも知覚を弛緩させすぎてしまう。
オーストリアのとある教会の地下礼拝堂は、そんな静寂に満たされていた。地上を行き交う人々の足音や車の通り過ぎる音は分厚い土の天井に遮られ、そこに届くことは絶対にない。コートの衣擦れの音が石の壁に反射して響いた。僕は腰を下ろしてじっと祭壇のキリスト像を見ていた。本当に静かだとはこのことかと思った。音の真空の中で聴覚は音を探り続ける。どんな音も逃すまいと、遠くまで。あたかも暗闇で何かを見つけようとする瞳孔が、自身の大きさの上限も知らずに広がり続けてゆくような奇妙な感覚。知覚が弛緩する。どこまでが本当の自我なのか。それとも自我は無限に拡張しうるのか。
大学受験の頃を思い出す。11月のある日に銀行に検定料を振り込みに行った。僕は毎日ひどく憂鬱で、何のために生きるのかという陳腐な問いさえも考える気になれずにいたのだけれど、それでもなぜだか引きこもりに突入することもなく、ふらふらと日々を過ごしていた。(なぜその頃に線路に飛び込んでしまわなかったのか今でもよく解らない。)人と話すのは極力避けるようにしているというのに、大学は窓口での振込を指定するものだから仕方ない。窓口で応対に出たのはとりたてて特徴のないオバサン行員であった。そんなことはどうでもいい。払込票を僕に返すとき、「がんばってください」と言いながら彼女は"合格祈願 三井住友銀行"の鉛筆を差し出した。大学受験の検定料を払いにきた学生全てにそれを渡しているのだろう。もちろん合格祈願の文字が手書きであるわけでもない。それでも僕は戸惑うほどに嬉しかった。そのとき僕は普通名詞の中に漂流する存在ではなく、固有名詞になっていたから。マニュアルに組み込まれたサービスの一環だと判っていても、心が伴っていなくとも、行員はほかの誰でもなく一個人としての僕に"合格祈願"を手渡したのだ。
ごはんが美味しいということ。何かが楽しみだということ。くだらない話をして笑うこと。決して見失っていたのではない。模索しながらも半ば諦めかけていたそれは、自らの元に到来してなお微かな悲しみの影を帯びている。喪失の不安、未来への不信。こんな単純なことさえも真っ直ぐに受け止めることができないのは、きっと僕がすれたからだ。すれて擦り切れてしまっているのだ。擦り切れた心を嘆くこともできない。ひねくれた心根が自嘲と自虐という迂回路へと僕を押しやる。手に入れれば失うことが怖くなる。だから放り投げて全てリセットしてしまおうか。けれども僕にそんな思い切ったことができるはずもない。

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北落師門

Author:北落師門
特徴: 研究者気質(何)、厭世家、人嫌い、典型的ブックワーム。
大量の学問だけで出来ていると思う。詭弁と皮肉で武装している。
目の悪さが半端ない。あと、電話と食事と世間話が天敵。
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