InAequabilitas

 moneo in reticentia - audi.

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随想[死に関して]

死のうと望む者は、生きようと願いながらも生きられない者に対して責めを負わない。富める者が貧者の貧困それ自体に対して何ら責めを負わないのと同じである。罪責の念を感じることは可能だが、それを外部から強制することはできない。「他者の死は私の生から断絶している」。死が不可逆的で回復不可能だということは、死を言語や思考によって弄ぶことを禁じはしないであろう。事実、死は哲学の中心的課題であり続けてきた。死は決して(死者本人によって)体験され得ないのにも関わらずである。死を思考から消去しても生きることはできる。死を常に見据える者だけが豊かな人生を送れるなどとは、自分が他人よりも優越していると思い込みたい人間の戯言ではないか。(「私」の)死は繰り返されない。だから死を知らずとも、生きることには何ら支障がないのだ。見えもしない素粒子なぞ研究して何になるとよく問われるが、確かに別に何にもならないのであり、素粒子を知らずにいても何の問題も起こらないであろう。知っていることは優越を保証するわけではない。単なる好事家である。そう、死だって"どうでもいい"のだ。死に関する思考は他者に対して責任を負うことを強要せず、他者に対する優越も意味しない。それは全く「何でもない」。(けれども僕は"好事家"をやめられない。)

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北落師門

Author:北落師門
特徴: 研究者気質(何)、厭世家、人嫌い、典型的ブックワーム。
大量の学問だけで出来ていると思う。詭弁と皮肉で武装している。
目の悪さが半端ない。あと、電話と食事と世間話が天敵。
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