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倫理学に関して/刑法は倫理に非ず

僕の本棚は様々なジャンルの本で溢れ返っているが、(他領域の)哲学・法学系の本に比して倫理学系の本は圧倒的に少ない。片手で数えられるレベルではないだろうか。小学生のときから道徳の授業は胡散臭く感じられて大嫌いだった。倫理学とは生まれつき相性が悪いのかもしれない。どうにもずっと「倫理学」という学問に対して納得できずにいる。今流行りの(?)生命倫理学などその極みである。例えばクローン人間の作成について。クローン人間作成反対派は大きく分けて安全性と倫理問題の二側面から議論を展開するが、僕がついていけるのは安全性の議論までで、倫理になってくると途端に置いて行かれてしまう。"家族概念の崩壊"、"アイデンティティ危機"、"生命操作は背徳"。彼らが持ち出してくる論拠は単に"常識"の域に留まる。いや、何の疑いもなく検証も経ずにいるという意味を込めて"ジョーシキ"と書きたい。家族概念って何だ? それが"崩壊"したら困ることでもあるのだろうか? そういった疑問をそのままぶつければ、彼らはきっと白目を剥いて「お前、そんなでいいと思ってるのか!」と喚くことであろう。僕はクローン人間反対議論における安全性の問題は理解するし同意もする。しかし"倫理派"にとっては"安全性の先に倫理面の問題がある"のらしい。これって一体どういう意味なのだ?

そもそも倫理学の性質からして、あまり"学"とは呼びたくないものであると僕は思う。スピノザのエチカすら読んでいない奴が何を言うかという感じではあるがちょっとそこは目を瞑っていてほしい(苦笑)。倫理/道徳においては、"どうあるべきか"や"何をすべきか"といった規範が提示される。同時に、"何が許されないか"といった否定的な規範もある。全てに共通するのは主語が欠落していること。つまり普遍性を持っている。自分はこうすべきだがあなたは・彼は・彼女はこうでなくああすべきであるとか、そのような"個人主義的"倫理判断にはお目にかかったことがない。しかも道徳的判断の基準は"善いから"や"悪いから"というもの。そうなれば道徳規準は十人十色になるのは当然で、普遍性を求めること自体がおかしいのである。
普遍的にどうあるべきかを語ることはできない。なぜなら―食傷しそうなほど言っているが―私はあなたではなく彼でもないからである。ウィトゲンシュタインも言うように、倫理に命題は存在し得ない。超越論的であるから。命題でないものが全人類に遍く適応できるとなぜ言えよう? つまりこうである以上、道徳観念は平たく言えば"個人の好き嫌い"なのだ。前に"倫理派"にそう主張したら、「そっちこそ自分の好き嫌いで話をしているんじゃないか」と反駁された。反論できなかった。彼は正しい。けれどもだからといって僕が自己矛盾しているわけではないと振り返ってやはりそう思う。僕が言いたいのは倫理について語ればそれは自然と個人の好みの問題になってしまうということなのだから、僕が"倫理問題は捨て去ってクローンについて議論すべき"という倫理的判断を示したら、それが僕個人の信念になってしまうのは避けられないのだ。

対して刑法学では、まず守られるべき法益が列挙され(生命・財産など)、それを侵犯する行為を犯罪として禁止する。そして犯罪に対しては明確な懲罰が存在し、一般予防と特殊予防に目的を分けることができる。一般予防は"見せしめ"の効果、特殊予防は"懲らしめ"の効果と言える。刑法のどこを見ても、ある法益がなぜ保護されねばならないのかといった文言は見当たらない。単に解釈の問題なのだ。刑法自身はただ潔くそして理由もなくある行為群を禁止する。刑法の目的は法益保護のみならず「社会倫理の維持」もあるという考え方もあるが、刑法の条文を眺めていても倫理学が立ち現れてくることはない。刑法の作成者の思惑も関係はない。バルトは『作者の死』において筆者は文を書く者という以上の役割を持たないと主張したが、刑法でもそれは同様であり、作者のもとを離れていまこの六法に収録されている刑法はそれ自体だけで解釈されるべきである。憲法とは違って冒頭に理念などが掲げられているわけでもない。とすると、刑法はやはり「法益の保護」を目的とするのであって、倫理とは寸毫の関係もない。理由なく殺人を、放火を、窃盗を明文で禁止しているのみ。何故禁止されるべきかは法哲学の話で、刑法学の問題ではない。知人が「法学は人間から乖離している」というようなことを言ったのだが、それは法学の否定ではなく法学の叙述である。個々の人間から乖離しているからこそ普遍が説けるのだ。

倫理も刑法学も同じように、第一に"理由のない"基準が示される(科学だって、因果律や帰納法を理由なく根拠としている)。だが倫理は善悪という超越論的なものを前提に据えている。超越論的であるから真偽が客観的に決定されるはずがない(実在論否定)。だからそこには個人の信念が介入する。そうなった時点で普遍的な法則を立てることなどできない。道徳法則は個人という文脈、かつ"私"という主語のもとにのみ示され得る。各人の倫理規範が衝突するとき、それを解決するものこそ法学ではないか。何を・どの法益を守るべきなのか。法益に観念的なものはない、つまり超越論的なものはないといってよい。では名誉毀損などはどうかと言えば、名誉・信用が失われることによってたとえば仕事が減るなどして"財産"の面に関わってきたりするのだからやはり観念的ではない。クローン人間を例に挙げれば、"安全性"はクローン自身の生命などを脅かすのだから、クローン作成禁止の論拠となっても問題はない。だが安全性が解決されたなら? 残るのは先験的な問題のみでしかない。それは法の領域を外れている。既に普遍性を求めることはできなくなっているのだから。故に「倫理問題」を振り翳して何かを普遍的に禁止することはできない。…こうして倫理を否定する僕は"倫理的にオカシイ"のだろうか?(笑)

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2012.10.20 Sat 13:07  倫理学って理解できません。

大学の学部の時、一般教養で倫理学の講義を受講しましたが、倫理学とはどういうものかさえ授業で理解できませんでした。
朝永振一郎教授の物理学概論の講義はとてもおもしろくて「アボガドロの法則」あたりまではついて行けたのですが、ごく普通に偏微分の数式がでてきてからついて行けず落後しました。先生は「こんなのとても簡単でしょ」とこともなげに講義で言われましたが私には数学の知識がないので無理だときっぱりあきらめましたが、倫理学を講義で理解できないことはとても後味が悪い思いをしました。
刑法と倫理は別だというのは、その通りです。ところが現実にはそういったものを引きずっているのです。たとえば猥褻に関する罪、チャタレー裁判で判決を書いた最高裁判所裁判官は今のネットを覗いたら鼻血をたらして悶絶するに違いありません(笑)。
主観に基づくこと、時代によって変化する事柄を図々しくも法文化するからこういうことになるのです。殺人にしても近世までは仇討ちなど容認されていたわけですから、刑法の基調自体絶対的なものではなく相対的なもので、いい加減なものなんです。所詮人間がでっちあげたものですから、こんなものでしょうね。
  • #bBmFigmc
  • ketsuro8da
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2012.10.20 Sat 17:00  

理解のレベルが進むにつれて簡単なレベルのものが「誰にとっても当り前に解るはず」と思えてしまうのは、まあ無理もないですよね(笑)。それが朝永氏となったら尚更...。

倫理学は「どう行動すべきか」や「どうあるべきか」といった"規範"に対する評価を扱う学問、というのだそうですが、そこから既に曖昧なものになっています。しかし「どうあるべきか」などは解らなくもない。では細かいことは横に置いておいて、倫理は「どうあるべきか」を考える学問だと理解しておくことにします。
ならその基準はどこにあるのか。評価は"善い"“悪い”で行われるわけですが、それは一体何なんだ!となる。各人の道徳観念に委ねられるべき、つまり各人の趣味の問題でしかないのじゃあないかと。
僕が倫理学を胡散臭く感じるのは、基準が曖昧だからというよりも、その"規範"とやらを普遍化しようとするためです。

普遍化しようとするために「メタ倫理学」とかいったものが出てくる。対して法律そのものには何が善か悪かなどとは書いてありません。その理由も与えられません。
いささか強引でも「これ、こう決めとくから。お前らこれに従わなかったら痛い目に遭うぞ」としているのが法律です。普遍化しようとしたら、こうするしかないのです。各人の倫理規範など一切無視し、どのような具体的損害がもたらされるか考え、それを防ぐためにある行為を禁止する。

現実には「情状酌量」として個人の道徳の介入が許されていることがなくもないですが、一応法律に裏打ちされた酌量事由でないと検察側から問い詰められるでしょう。
例えば「ホームレスを殺すのは社会のゴミを抹殺する行為だから許されるべき」という信念を持っている裁判官がいたとしても(いたら大変ですが)、殺した相手がホームレスだったという理由で殺人罪の被告人を無罪にするわけにはいきません。
法が相対的になってしまうのも仕方がないといえばないことです。その社会の中である行為がどれくらいの損害をもたらすと見積もられているのかに左右されるわけですから。
故に法の根底に倫理が一切関わっていないとは言い切れないかもしれません。そこが気になるので、昨日ちょっと法哲学の本を注文してみました(笑)。
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僕の本棚は様々なジャンルの本で溢れ返っているが、(他領域の)哲学・法学系の本に比して倫理学系の本は圧 2012.10.25 23:51

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北落師門

Author:北落師門
特徴: 研究者気質(何)、厭世家、人嫌い、典型的ブックワーム。
大量の学問だけで出来ていると思う。詭弁と皮肉で武装している。
目の悪さが半端ない。あと、電話と食事と世間話が天敵。
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