InAequabilitas

 moneo in reticentia - audi.

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“いいひと”であるみなさんへ

今の世の中、実に“いいひと”が多いですねえ。どんなに辛いことがあっても前向きで、正しい行いを賞賛し、悪行には心の底から憤慨するのです。人と人との繋がりが薄れた現代社会を嘆き、いまどきの若者がないがしろにする倫理道徳を取り戻そうと努力しているひともたくさんいるようです。また個性があるのは大切なことだと学校でも教えているみたいですよ。その上みんな平等の社会を目指しているそうで、いやあみなさんはとっても“いいひと”なのですねえ。

それでも―それでも、あなたがたは疑ったことがないのですか。果たして何が本当に正しいことなのか、何が本当に善いことなのか、そもそもそんなものがあるのか、疑ってみたことはないのですか。こう言えばきっと「そんな問いが出てくる事自体、お前の精神構造が間違っているのだ」と仰るのでしょう。そうなのですか。では何を以てわたくしは間違っていると仰るのですか。どうぞ考えてみてください。あなたがたが正しいと思っていることではないものは凡そ間違っているからではないのですか。
ええ確かに、正しいものでないものは間違っているのです。そこに全く異論はありませんよ。しかしながら、あなたの“正しい”は彼の“正しい”であるとは限らないとは思われませんか。何故とお訊ねになられる?単純明快な事実ですよ。あなたは彼ではないからです。
「ああまたなんて淋しいことを言う」とわたくしを憐れんだ目で見つめておられますね。「他者の気持ちに共感することもできない可哀想な人間がいる」と思っておられるのですね。きっとそうなのでしょう。けれどもわたくしには“共感”したつもりになって馴れ合うあなたがたの方が、よほど滑稽に映るのです。いったいどうやって、“理解した”と確かめるのですか?どうやって“理解された”と確かめるのですか?あなたがあなたでしかあり得ない以上、あなたはあなたの心理の、それも一部分しか本当に知ることは出来ないのですよ。

しかしどうか思い違いをなさらないでください。わたくしは決してあなたがたの“正しい”を否定しているのではありませんよ。いかにあなたとわたしの“正しい”が食い違っていようとも、どちらも同じように正しいのです。ただわたくしにとってあなたの“正しい”は間違っており、あなたにとってわたくしの“正しい”が間違っているというだけなのです。ゆえに絶対的に正しいことというのはないのだと思われませんか。ならばあなたがたが他者に“正しいこと”をするように要求することは、そして“正しくないこと”を一概に糾弾することは、全くの暴挙であると言って差し支えないですね。

“みんな平等になる”というのは、みんなが今一番幸福な人と同程度に幸福になるわけではありません。あるていど不幸な人がもう少し幸福になり、あるていど幸福な人がもう少し不幸になることによって“平等”は実現されるのではないですか。“みんな平等”を突き詰めてゆけば、そこには純粋な社会主義が現れます。そこにおいては、富裕層が財産を剥奪され、貧困層にその<余り分>が分配されますね。これは経済的なはなしですが、その他の部分でも同じようなものです。
あなたがたが信奉する“平等”は、あなたがた自身の幸福が減少しない限りにおいて善いものだと認められているのではないですか。自分よりぬくぬくと生きている輩どもが自分と同じ境遇に堕して来ることを願っているからではないですか。自分より幸福な者が「平等に」不幸になり、自分自身の不幸が「平等に」幸福に変身することが保証されるという条件下でのみ、あなたがたは“平等”を唱えるのではないですか。あなたがたがきっと嫌っているルサンチマンに、首までどっぷり浸かっているのではありませんか。

個性を尊重するというのも、あなたがたの利益が傷つけられない限りにおいて認めていらっしゃるのですよね。あなたがたの利益がと言うと「そんなジコチューな事を言った覚えはない!公共の福祉だ!」と憤慨なさるに違いありませんね。ええいつもそう仰っていることは知っています。それでも、ご自分に一切関係のない“被害”をあなたがたは考慮されるのですか。そもそも全く関係がないのだから、つまり全く解らないのだから、考慮しようとしてもできないはずですよ。
一見して赤の他人であるような輩の行為を糾弾するのは、もしあなたの周囲の誰かが同じ行動をとったらあなたに“被害”が及ぶから、或いは面倒なことになるからではないのですか。それが厭だから、「公共の福祉を実現する」と仰りながら密かにご自分にとって都合の良い社会が出来上がることを望んでおられるのではないとあなたがたは言い切れますか。

生きている限り辛いことは山ほどありますね。それだからこそ「前向きにならなければやっていけないのだ」とあなたがたは仰ります。そうして悲しみも恨みも怒りもことごとく笑顔の裏に閉じ込めて、それが出来ない者を「空気が読めない」或いは「明るい雰囲気をぶちこわす」と嫌われるのでしょうね。
しかし、いったいどうして自分の感情を無理に押さえ付けてまで周りの空気を守らなくてはならないのですか。せっかくのいい雰囲気を壊すなというのは、周りにいる人々の(穏やかな)気持ちを尊重しろということで間違いないのですよね。そうならば、悲しんでいる人や苛々している人の気持ちは尊重されなくてよいのですか。
そしてあなたが前向き志向を善いことだと認識していたとしても、それを他人にまで要求する理由にはならないのですよ。あなたがたのいつも変わらぬ笑顔を不気味だと感じているわたくしのような人間がいたとしても、全く以て自然なことなのです。生きていればいい事もあるのでしょうが、生きていれば悪い事もあるのです。ですから前向き志向というのは―あなたがたが後ろ向きな人間を非難する時の論拠と同じく―現実を一部無視している考え方だと、お思いにはなられませんか。

わたくしは“いいひと”にはなりたくないのです。ただ自分にとって正しい事だけをしたい、いやせめて間違った事をしないようにしたいのです。“正しい”と思ったことを実行したがゆえに社会から排斥されようとも、正しい事を守り抜く限りわたくしはひじょうに清々しい気分でいます。自己欺瞞に窒息しなくても済むのは、とても気持ちのいいものですよ。
いえ、やはりどうぞわたくしの言った事は忘れて、“いいひと”として人生を全うなさってください。わたくしにもあなたがたをとやかく言う筋合いは決してないのですから…

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北落師門

Author:北落師門
特徴: 研究者気質(何)、厭世家、人嫌い、典型的ブックワーム。
大量の学問だけで出来ていると思う。詭弁と皮肉で武装している。
目の悪さが半端ない。あと、電話と食事と世間話が天敵。
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