InAequabilitas

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回想と随想

小学生の頃、クラスメイトが体育の授業の試合に必死になる様子がどうしても理解できなかった。何故って、たとえそのドッジボールの試合で勝とうとも、その授業時間が終わってしまえばそれは利益的に何の意味も持たないのだから。運動会もどうでもいいと思っていた。勝った組には立派な旗とトロフィーが最後に代表者に授与されるのを知っていたけれど、それらは式の直後には回収され、そして学校にずっと保管されていて、何年も何十年も使い回されてきたものだということも知っていたのだ。だから逆に僕は、「この問題に答えられたらテストのボーナス点を5点やる」というような場合はやたらと張り切った。その問題に答える事はボーナス点という利益を得る事ができるわけだから。またあるとき僕はいじめに遭ったのだが、相手は体育のリレー班が一緒だった子供たちだった。僕は走るのが遅く(今でもそうだけれど)、彼らは僕さえいなければクラス対抗リレーに勝てるのだと言う。一般的には自罰的な僕だったが、この度はどうにも理解できず、結局悪いのは向こうであると結論づけた。全く利益にならないことを成し遂げる為に出来ない事を要求された挙句、毎日蹴られたり罵られたりするのはどうにも理屈に適っていなかったからである。
今でも僕はそんなふうに思うのだ。こうやって今、むやみに足掻きながら何かを成し遂げても、この人生が終わってしまえばそれは何の意味も持たないのに、何を必死になっているんだろうか?たとえ確かに世間に認められるほどに素晴らしい成果をあげても、それは単に<使い古された栄光>に過ぎない。テストのボーナス点のようなものもただ目先の利益であって、同様に過ぎ去れば何の意味も持ちはしない。この場合、自分を苛めているのは他でもない自分ではないのか?
だから僕は、時折あの晴れた午後のように、授業からそっと独り逃げ出してしまいたくなることがある。けれどもそれは、僕の存在をひどく疎ましく思っている彼らの望みを叶えてやる事に等しいではないか。なれば彼らの視界に堂々と居座り続け、彼らを憤死させてしまうというのもまた一つの手である。

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北落師門

Author:北落師門
特徴: 研究者気質(何)、厭世家、人嫌い、典型的ブックワーム。
大量の学問だけで出来ていると思う。詭弁と皮肉で武装している。
目の悪さが半端ない。あと、電話と食事と世間話が天敵。
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