InAequabilitas

 moneo in reticentia - audi.

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断片

全ての事物は恣意的に分類される。明確な定義も言えないのに、Aはこの分類に入るか、Bはどうなのかという議論は全く論理実証主義的にいうなら「無意味」なのだ。そして分類は、つまり定義は無限に存在する。普遍的に意義のある分類やそうでない分類というものは存在しない。ただある一定の領域内においてそれは決定することができる。例を挙げるなら、数学において無理数と有理数の分類は「意義がある」が、髪が何色であるかによる人間の分類は意義を持たない。
「数学は発見されたのか、発明されたのか」という論争がある。僕は「発明されてからその範囲内で発見が行われる」と考える。結局のところ数学に限らず全てがそうだ。たとえば縦棒を書きそれを「1」という単位だと定義する(=発明)。同様にして他のものも定義する。そうして1というものが掛け算の単位元であることを<発見>する。
更に言えば、「客観的な正しさ」なるものも定義が無ければ存在しない。たとえばとある物が青色である、というのは普遍的な真理であるかもしれないが、それは青という色が周波数xHzで明度yLuxの電磁波が視神経によって認識されたときのイメージだ云々という定義がなければ成り立たない。ある人間があらゆる電磁波を「視神経によって認識される電磁波」「そうでない電磁波」と分けていた(電磁波という分類が存在するという仮定のもとで)としたら、彼にとってそれが青色であるというステートメントは何の意味も持たず、もちろん客観的に正しいなどとは決して言えない。
ついでに「鶏が先か卵が先か」という論争もあるが、それも進化の過程の中でどこからを「鶏」と呼ぶのか決まっていないなら結論など出せない。だって「神は鶏を創ったのか卵を創ったのか」という論争じゃないんだから。まあ創世論者にとってはそんなことかもしれないが。
要は結局のところ「語り得ることについては明らかに語り得る/語り得ぬものについては沈黙せねばならない」という結論に到達するわけかもしれない。因みに僕の座右の銘。


自傷した傷口からだらだらと血を流し、その痛みと冷たさに顔を顰めながら、セールスマンの死をとっくり読んでいるという構図をどう評したらいいのか。
そういえば結局iPodはRaskolnikovになった。(笑)
実は毎年3月1日に「自傷認識の日」とでも訳すべき(Self-injury Awareness Day, SIAD)キャンペーンがあるのらしい。そしてどうでもいい。
朝から何も食ってないのに吐き気がした。胃酸ばかり嘔吐した。眩暈はするし頭痛もするし血は足りないしついでに血糖も睡眠時間も足りないし、途方もなく最悪だ。あと付け加えれば剃刀の刃まで鈍ってきているし頸の横がリンパ節炎になっている気もする。惨め過ぎるだろ自分。
けれども、食えるのに飯を食わず眠れるのにわざと眠らないのはほかでもない自分だったりする。そうやってとんでもなく不健康になってそのまま野垂れ死ねばいいなぞと思っているのであろう。前意識が。
ここ一週間だけでも何度自分をゴミ呼ばわりした事か!(殴)少なくとも両手じゃあとても数えられないぞ!しかし僕は事実を語っているのだ!

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北落師門

Author:北落師門
特徴: 研究者気質(何)、厭世家、人嫌い、典型的ブックワーム。
大量の学問だけで出来ていると思う。詭弁と皮肉で武装している。
目の悪さが半端ない。あと、電話と食事と世間話が天敵。
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