InAequabilitas

 moneo in reticentia - audi.

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

凡愚を解剖する

単なる戯言というか、ぼやきというか

大した理由もないのに自分自身がひどく厭になった。
死ねばいいのになどと思ってみるが、何となく今死んだら中途半端じゃないかなんて気がしたので、自傷のみに留めておいた。(まったくいったい感情的なのか理性的なのか自分でも解らない)
切りつける場所を見もしないで力任せに切ったら、運悪く(?)最も酷い古傷にほとんど重なるように切ってしまっていたのらしい。あまりにも自分が厭なので二本目を切ろうと思ったら、血がやたら溢れてくるので周囲の皮膚が文字通り血塗れになりやがり、カッターを錆びさせるのも嫌なので止めた。
あたかも自らの一部が、隣に座っている傍観者のように冷ややかに自らを観察し判断を下している。そんな自分が時折少し不気味になる。人を殺しかけた時でさえもそうだったのだから。
僕が死んだら世界は何も変わりないのだとは言わないけれど(少なくとも科学的には絶対に変化があるわけで)、あんまり大した変化はないはずである。それが死ぬ理由でもないし、ただ単純に死んでも生きてもいいやというような結果になるだけなのだが、なぜかバタフライ・エフェクトという概念を思い出した。例えば僕が死んで、その影響でAに変化が起こり、それがBを引き起こし、Cに繋がり、云々ののちに、現在の社会が一秒でも早く滅びることになるならば何だか嬉しいかもしれない。いやそう言うのであれば、初めの動きが「僕が死ぬ」でなくてもいいような気がするけれど。
死を淡々と見つめられるように自らを慣らして来たが、生きている者としての僕にとって死はやはり少し特別なものなのだろう。この数年というものほぼ毎日、希死念慮というかたちでではなく、哲学的・思想的に死について考えている。死について考えることは生についても大きな意味を持つ。そんな筋合いなど決してないはずなのに、死を無視したまま何事もないように毎日を送っている人々を軽蔑してしまうのは何故だ。これといった理由は自分でも見つからない。
しかし、だからこそ僕はその平凡な生活にメスを入れたい。<普通の><明るい>人々に向かって声を上げたい。死はいつでもすぐそこにいるのだと。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へにほんブログ村 哲学・思想ブログへ
スポンサーサイト

Comment

2010.11.05 Fri 01:15  

お久しぶりです。

…この記事にコメントするかちょっと迷ったのですが。
>死を無視したまま何事もないように毎日を送っている人
ハイデガーの「ダス・マン」ですよね(あんま詳しくないですが)
僕も死生論研究しますっとか言っている身なんで、無責任なことは言えないのですが、
<普通の人><明るい人>って本当に死を意識してないんですか?

…あんま深入りすべきではないと思うのでやめときますが。
こういうこと言うと気に障るかもしれませんが、いわゆるリストカットとかしてる人間こそ死を遠くに追いやろうとしているように見えるんですよね。一見、死と対話しているように見せかけて。
それよりも、普段呑気に生きてるけど、車が来たら反射的によける兄ちゃんのほうがより立派に死と向き合ってると思うんですよ。
まあ、私見で特に確証があって言っているわけでないので、申し訳ないのですが。


ま、それはさておき(この流れで言うのもなんですが)、宣伝になってしまい恐縮なのですが、今年も年越詩祭開催いたします。
よろしければ、是非ご参加ください。

2010.11.05 Fri 17:05  

あっ、そういやダス・マンなるぴったりの概念がありましたね。大体それだと思ってもらっていいです。
<無視している>と<意識していない>は違います。判っていて知らないふりをするのと、そもそも判っていないとの違いのようなもの。赤ん坊は自分がそのうち死ぬことなど知りませんから、赤ん坊は死を<意識していない>。彼らは別に(僕にとっては)構わないのです。僕が毛嫌いするのは、事実(死に限らず)を知っていながら無視する行為です。いくら自分に不都合でも、その事実が恐ろしくても、抹消しようとしてはならない(ですから僕は所謂<善意の嘘>にも反対です)。

他の自傷者の心理は解らないですが...たしかに一種の<擬死>として自傷をする人もいるかもしれません。擬死は結局死とは全く違うものであって、死を意識していると見せかけて(勘違いして?)いるようなもの。喩えが変ですが、動画サイトで外国の観光地を見ているだけでそこに行ったような気になっている引きこもりの心理にも似ているでしょう。
ですが、その「兄ちゃん」の例は、死を無視し続けて結果忘れかけてしまっている人の典型ではないでしょうか?だからこそ彼は「反射的によける」のであって、時々刻々死を意識しているのであれば違う反応になるのでは。(いつ何時でも死について考えている奴のほうがおかしいことは判ってますが;;)ある意味ここでは<死の意識>の有無というより<交通安全の意識>の問題になって来そうですけれど(笑)

僕は自傷するから死について考えているというより、死について考えた結果自分は死んだほうがいいのではないかという結論に(論理的に?)辿り着いてしまった奴です。自傷はまたどこか別の次元に置き去りにされているというか(ぇ
私見であっても確証が全くなくても、全然大丈夫ですよ。それより僕がコメントに欲しいのは私見です。特に反対意見。批判されなければ思考は停滞していきますからね。

実は数日前から年越詩祭のページを覗いているのですが、どうしようか迷っています...。







(編集・削除用)


管理者にだけ表示を許可

Trackback

http://noncomposmentis.blog36.fc2.com/tb.php/176-6aee9c78

この記事にトラックバック(FC2Blog User)

Home

Irony, Satire and Truth

Biography

北落師門

Author:北落師門
特徴: 研究者気質(何)、厭世家、人嫌い、典型的ブックワーム。
大量の学問だけで出来ていると思う。詭弁と皮肉で武装している。
目の悪さが半端ない。あと、電話と食事と世間話が天敵。
Detail/本棚

Latest Articles

Comments

Trackbacks

Link

Categories

Search

 

Counter

Current Visitors:

Archives

Mail Form

Name:
Mail:
Subject:

Top

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。