InAequabilitas

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「生きる理由がない」?

生きる理由というのは何でもよい。迫害されている人種を解放するのだとか、幾千もの人々の命を救うのだとか、そんな壮大なものである必要はない。どんなしょうもない(?)理由—例えば毎月一回ピザを食うこと、誰それのコンサートに行くこと、云々—を真剣に生きる理由にしていようが全く構わないのである。それをとやかく言う奴は、他人の生存理由に難癖を付けることがそやつの生きる理由なのだと思ってやれば宜しい。
ところで自殺(志願)者の一部は自殺の動機を「生きる理由がないから」と言う。僕にはなんだか間違っているような気がしてならないのだ。こんなものに喩えてしまって申し訳ないが、しかし解りやすい気がするので僕の考え方を説明しておく。

生きる理由は人生の推進力だと考えることができる。これをFとおける。Fがあれば加速度aが生じる。逆にFがなければaもまたない。a=0のときはお馴染みのように、運動の状態が変わらない(よく誤解されているが、運動していた物体が止まるわけではない)。運動の状態は「生きている」であり、これは止まっているとは見なせないはずだ。なら加速度がなければそのまま何も変わらず動き続けるはずである。なぜ物体を真空状態に置いて考えるかというと、生きる死ぬはすべて自分一人の問題だからだ。外的要因(自分の身にあるもの、たとえば「自分は醜い」とかも含めて)は運動と逆方向に働く力であり、どちらかと言えば「死ぬ理由」とはなりうる。死ぬ理由(F')があれば、「生きる理由がない(a=0)」は成立しない。
Fがあれば仕事Wがあり、そして熱Qがある(ことがある)。生から死に転換するのはもはや「状態変化(固液気のあれ)」で、生を加速させるより大きな力、というか熱を必要とする(潜熱は凄まじいのだ)。よって死ぬ理由は生きる理由より力のあるものでなければならない。だから「生きる理由がない」と言って自殺する者にも、やはり死ぬ理由はあったのではないか。

…などと何の為にもならないことを常にうだうだと考えている。(苦笑

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北落師門

Author:北落師門
特徴: 研究者気質(何)、厭世家、人嫌い、典型的ブックワーム。
大量の学問だけで出来ていると思う。詭弁と皮肉で武装している。
目の悪さが半端ない。あと、電話と食事と世間話が天敵。
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