InAequabilitas

 moneo in reticentia - audi.

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自己分析

知識欲の奴隷と成り果てると、物欲が掻き消えていくことに気が付く。かつては欲しい物ばかりだった。今は本と数丁の刃物以外ほぼ何も「需要/wants」はない(しかもその刃物も自傷用ですらない)。当然最低限の「必需/needs」は存在するが、それも最低限以上にはあまり必要もない(無くても平然と生きていけそう)。それどころか今あるものが邪魔で仕方なくなってくる。歴代の老学究たちが本ばかりに埋もれてそれでも幸福そうに研究生活を送っていた気分が解るような気がする。僕も(年をとれれば)間違いなく凄まじく偏屈な老学究になるに違いない。

常に苛立っているというのもなかなか疲れるもので、この前しばし気分を落ち着けてゆっくり周囲を見回してみた。即座にまた苛立ちに舞い戻ったが。その時気付いたのだが、僕と同じくらい孤立狷介な男が一人いる。しかし知り合いになりたいとは思わない。やはり僕は筋金入りの人間嫌いであるらしい。

僕は今いるここから抜け出したいが、しかし動きたくもない。「どこかに行きたい」でも「どこかに居たい」でもなく、「どこにも居たくない」のである。この感覚は、僕を掴んで離さない死への憧憬とは違ったどこか遠いところにあって、希死念慮には直結しない。なぜならば死への欲求は破壊欲求(タナトス)であるが、「どこにも居たくない」はより快適な生への欲求だからだ。ところがこの願望は実現不可能なので、僕の欲求の蛇は自らの尾を咥えてウロボロスとなる。すると両極にいた彼ら(希死念慮と不在欲求)は俄然隣り合ったもの同士となり、僕の視界を占めるのは結局、死への憧憬のみとなってしまうのだ。

僕にとって直視できないものは死と太陽ではなく、未来であるようだ。未来を見据えようとすると頭がおかしくなりそうになる。そこでシェイクスピアの書いた「そんなふうに考え始めてはいけない。そんなことをしたら、気違いになってしまう」という台詞を呪詛のように繰り返すことにしている。

忘れようと努めるほどに脳裏にしがみついて離れないのは何たる逆理か。饐えてなお甘やかな追憶。僕は理性の判事によって感情の罪に対する一生の罰を言い渡された。このまま全て背負ってそれに蝕まれ悔いながら死んでいくのか。しかしそれでも記憶の影を追おうとしてしまう自分自身を眺めているのが最もやるせない。

国を跨いで生活していると、いやというほど浴びる質問は「故郷はどちらで?」である。そもそもが母国を二つ持って生まれたような人間なので返答するのに困窮してしまう。そんなわけで何ヶ月か前から、そう聞かれたら無言で空を指差すことにした。無境界の人になりたい。

僕はどうにも不均衡な(inaequābiliter)奴だと思う。几帳面と大雑把が、敏感と鈍感が、知と無知が、安定と混沌が、ひとつの精神の中に同居している。ひょっとすると精神は一つではないのかもしれない。

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北落師門

Author:北落師門
特徴: 研究者気質(何)、厭世家、人嫌い、典型的ブックワーム。
大量の学問だけで出来ていると思う。詭弁と皮肉で武装している。
目の悪さが半端ない。あと、電話と食事と世間話が天敵。
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