InAequabilitas

Date : 2012年11月

CURRENT MOON

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ヘリコプターの話

僕の家にも一応テレビはあるが、時折襲来する親のためにだけ存在しているようなもので、僕自身はほぼテレビを見ない。今日はなぜか思い立ってテレビをつけてみた。そうしたら「恋とスフレと娘と私」(で合ってるのだろうか)とかいう映画をやっているところであった。前後がどんな話なのかは知らないが、ちょうど―もしかしたら全編通じてそうなのかもしれないが―母親が娘の結婚相手を探そうと躍起になっている場面で、過干渉はやめろと忠告を受けているのにも関わらず母親にやめる気配はなかった。彼女の言い分を要約すれば「娘のためを思って」ということである。「娘のためを思って」娘に隠れて出会い系サイトで相手を探し、「娘のためを思って」候補者の"面接"までし、「娘のためを思って」面接に合格した男と"偶然"出逢うよう小細工をする。ったくなんて「娘思い」なことでしょう。感動的ですねえ。

彼女のような人間は「相手のためを思って」という"善意"に凝り固まっているために、他者の主張を受け容れる余裕はない。たとえそれが"思っている"相手自身だったとしてもである。自分の行動は善意から出たものだ。善は正しい。故に私も正しい。裏を返せば、私に反対する者は全て間違っている! 親どもがよく宣う言葉に「あなたのためを思うことの何がいけないの」というものがある。勝手に思い、くれたければ忠告をくれりゃいいのだ。だが彼らの"自分は絶対正しい"観は、土石流のように「あなた」の意志を押し流し、埋め尽くし、死滅させる。

どうせこの映画のラストでは「誤解し合っていた母娘が理解し合い、娘は素晴らしい結婚相手と幸せに暮らしました」的なハッピーエンドが描かれるのだろうなあと思うと、更に怒りが増幅していく。過干渉の親を持ち、"僕のためを思った"母に危うく永住権まで剥奪されかけた僕としては、子供を殴打する親よりも精神的虐待を加える親の方が遥かに身近な問題である。彼らは他者から非難されにくい。当然ながら「子のためを思う」真摯な姿勢に誰もが感心せざるを得ないだろうからだ。反対している間は独裁的であれど、服従した瞬間手の平を返したように"慈愛溢れる親"に豹変するというのも、子自身これを"虐待"としていいものか躊躇わせる理由になっている。子を暴行する親や育児放棄する親は法的に制裁される。けれども過干渉を禁じる法律も政令も存在しない。干渉と過干渉の線引きは難しい。それは容易に帰結する事実だが、どうすればいいのかは誰にも解らない。

過干渉の親はなべて"子離れできない親"である。当り前のことだ。そして彼らは子が自我を主張するようになると子が離れていくことを恐れ、自らの庇護のもとでなければ子が生きられないことを示そうとする。どうするのか。ひたすら子を貶めていくのである。「お前に一体何ができる」「それで生きていけると思ってる?」「思い上がるな」。何を成し遂げようとも彼らは「お前は無能だ」と捲し立て続ける。親から隔離しない限り、子にこれから逃れる術はない。

かつて、連日無能だ無能だと言われ続けた僕はそのうち「自分は本当に何も出来ないゴミ以下の存在なのだ」と確信するようになっていった。数度の自殺未遂。今でも希死念慮と自傷癖と無力感とを引き摺っている。瀉血した血痕を目ざとく見付けて僕を詰り始めた親に、「何故こんなことをしなきゃならないのか判るか」と問うてみたことがある。「判るわけないでしょ!」という有難くて涙が出そうなお答えであった。その時、今後二度と親に自分の胸の内など話すまいと心に誓った。
(何度も何度もやめてくれと訴えたのだ。僕が黙っていたのなら「判るわけない」でも構わない。この間会ったとき親は、小さい頃水泳教室に通わせなかったことや天文学の本を買い与えたことが、僕がひねくれちまった理由なのではないかと悔いていた。実におめでたい頭である。)

過保護・過干渉の親のことを「ヘリコプター・ペアレント」というそうだ。的確すぎるネーミングじゃないか。常に上空に待機しており、"異常"を察すると急降下してくる。強風でこっちは吹っ飛ばされそうだというのに。
やっぱりテレビなんか見るもんじゃないと思いながら僕はテレビを消した。

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零ベクトル

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エピステーメー

35年くらい前の思想誌エピステーメーを買ってみた。
episteme
第一印象は「何かこの装幀どこかで見たことある!」だった。暫くして講談社現代新書の旧装幀に似ていることに気がつく。
koudanshagendai
index案の定、装幀はどちらも同じ杉浦康平氏の手によるものらしい。目次もいやに格好いい。右の写真は「眼球—まなざしの哲学」のもの。カバーを外した講談社現代新書の表紙に似ていなくもない。
ブクログ本棚に登録しようとしたところ、古すぎてISBN番号がないせいか登録不可能(!)。数日前に買った80年代/90年代の別冊・数理科学も、一冊として登録できなかったのだけども。
今のところどれも未読だが、パラパラとめくってみたところ、これは...神雑誌の予感!(笑) 他の雑誌のように飯を食べながら読むのはちょっと不敬な気がする。押さえていないと机の上にうまく広げておけないという原因もあるにはあるが...
それにしても何だってエピステーメーは廃刊してしまったのだろう。当時と同じ価格の800円だったとしたらクオリティ高・価格低・装幀良しの三拍子揃った雑誌なのだ。しかし今売るとしたら、少なくとも現代思想と同じ1300円は取られるはずだろうなあ。

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Irony, Satire and Truth

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北落師門

Author:北落師門
特徴: 研究者気質(何)、厭世家、人嫌い、典型的ブックワーム。
大量の学問だけで出来ていると思う。詭弁と皮肉で武装している。
目の悪さが半端ない。あと、電話と食事と世間話が天敵。
Detail/本棚

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