InAequabilitas

Date : 2012年09月21日

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

生死のサイコロ遊び

死んでしまったほうが正しいのではないかと日々自問しつつ、それでもだらだらと生き続けている。何でまだ死なないのか他人に問われたとしたら、僕自身答えに窮するに違いない。敢えて答えるとしたら"惰性"とか"慣性"とか、単にそういったもののためである。暫く前は未だかつてない絶望の深みにどっぷりと浸かっていたのだけれども現在は大してそうでもない。しかし例えば命が危ない状況に陥ったとしたらあっさり生を放棄すると思う。そうでなくとも(今この瞬間でも)あっさりと死ねてしまいそうだ。但しちょっとゴミを出しておきたいだの未読の本を読了してからのほうがいいだの、全くしようもない条件を付けたくはなるのだろうけれど。

「そうだ死んだっていいじゃないか」と閃いた中学の頃から僕の心はずっと慢性的自殺モードである。時に急性的自殺モード(「今すぐ死にたい!」)に切り替わることもあったが、大抵は現在のように"死ぬという選択肢"を手元に置いているだけの状態だ。それは「何があっても死ねば終わるだけの話」という安堵と共に、「何事も無意味ではないか」という虚無感を与える両面価値的なもので、つまりは開き直りのようにすっきりと精神を安定させることはなく、常に自家撞着の内に自らを置き続けねばならないことになる。理詰めで考えようとすればするほどに矛盾は拡大し、自殺を肯定する理由はいつしか堂々巡りとなる。

自殺という解決策を思い付くに至るには、途方もなく巨大な絶望や無力感が作用して生まれる虚無感があるように思われる。「このどん底の状況はどうにもならない/できない→何をしても意味がない」という図式だ。そこから「何をしても意味がない→生きていても意味はない→死ぬのが合理的である/ましである」と続く。衝動的にではなく熟慮の末に"自殺"に辿り着いた者は誰もが虚無主義者になっているのではなかろうか。そして一部の者は自殺を決行し、その一部は死を遂げ、残りは生き延びる。運悪き生存者と決行さえしなかった者たちは徹底的な虚無感のもと、慢性的自殺モードで生き続けていくことになるのだ。

一つの選択肢としての自殺を真っ直ぐ見据えた時点で、自殺志願者の目に映る世界は非自殺志願者のそれとは大きく異なったものになる。まず第一に、人間が生きるための理念的な<常識>がどうしても理解し難いものとなる。第二に、周囲や社会を斜めに見るようになる。そして、何をしようとも傍観者のように自身を見つめるもう一対の視線が生まれる。
「全ては無意味だ」と悟ってしまっている時点で、例えば目標を達成するための弛まぬ努力であるとか人類の生活をより良くしていくことなどといったものが、おしなべて不毛で卑小な営みに感じられてきてしまうのである。どうせ自分に限らず、誰だって死ぬのは自明ではないか。どんな大問題が起ころうとも死んでしまえば全て解決するわけであるから、博愛精神や社会倫理もただただどうでもよく、意味を為さぬシロモノとなる。それらの<意味不明なシロモノ>を中心にして動いていく社会はまた同様に意味不明であり、慢性的自殺志願者は何か根源的な違和感を抱えたまま、そのような社会のど真ん中にぽつねんと佇んでいるほかはないのだ。

ところが、ひっそりと自殺モードに切り替わった人間がその日を境にして俄に引き籠ったりすることは稀だ。何をするのも無意味ならば何もしなければいいのに、それよりもとっとと死んでしまう方が自らの論理を完結させるために"正しい"行動であるように見えるというのに、多かれ少なかれぎこちなさは伴えど、彼/彼女は今までと同じ生活を続けるのが普通である。突然競争から降りてしまうこともあまりないだろう。熱意を失ったようには見えるかもしれないが。

これが僕の言う"慣性"に他ならない。今までこんな生活を続けてきたのだから、ただ何となくまた続けていくだけの話だということ。正に運動の第一法則みたいなものである。慢性的自殺志願者には、運動を止めるに足る逆方向の力を与えるもの(=死に踏み切る切っ掛け)もないが、加速させる原動力(=生きる理由)も同様にないのだから。常に心のどこかは冷め切っており、"不毛"な社会を渡って行く自分を周囲の人間たちと同じ卑小なものとして眺めている。自家撞着の原因はここにある。今までと同じように生活に意味を見出そうとする視線と、それには何の意味もないと宣告する虚無的な視線の共存。けれどもそれらはまた、不思議なことに釣り合ってもいるのだ。

僕にとっていま、生死の問題とはサイコロの相対する面に記された数字のようなもので、結局どの対の面を見ても和は7であり、どう振るかで生死のどちらに傾くかが決まるような、そんなイメージだ。その賽は不安定な台の上に置かれているために、とある方向から少し力を加えるだけで容易に転がってしまい、数字は変動する。たかがサイコロ! それでもやはり出た目に一喜一憂してしまうのが、どうにもこうにもやるせない。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
スポンサーサイト

Irony, Satire and Truth

Biography

北落師門

Author:北落師門
特徴: 研究者気質(何)、厭世家、人嫌い、典型的ブックワーム。
大量の学問だけで出来ていると思う。詭弁と皮肉で武装している。
目の悪さが半端ない。あと、電話と食事と世間話が天敵。
Detail/本棚

Latest Articles

Comments

Trackbacks

Link

Categories

Search

 

Counter

Current Visitors:

Archives

Mail Form

Name:
Mail:
Subject:

Top

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。