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InAequabilitas

Date : 2012年04月22日

知性のない奴が嫌い

子供が嫌いだ。無知だし喚くし泣き叫ぶし、排泄ネタごときでいつまでも爆笑し続けるし、そんななのにも関わらず態度だけは尊大である。赤ん坊になると最早これは性質的にペットと区別がつかない。そのくせ形だけは人間なのだから余計不気味に見える。「子供だから仕方がない」とはいえ、事実そうではあるのだが、嫌いなものはこれもやはり仕方がない。
"子供だから仕方ない"をとりあえず頭では理解しているので、乳児が列車内で火がついたように泣き出しても、五歳児が「次の駅はどこ?ねえどこ?」と大声でしつこく親に訊ねていようとも、別にその親に向かって「躾をちゃんとしなさい!」などとは決して言わない。躾けておいてほしいわけでもない。但し心の中では「あああ頼むから黙ってくれ」と頭を抱えている。
所謂"ませている"子供にしても、大多数の大人はどうもそれを微笑ましいと感じるらしいのだが、僕にはただただウザいだけであり、ひたすらにいつの日かそいつが自分のアホさ加減を自覚する日がやってくる事を願っている。あんな耐え難い生物を無心に愛し世話をしてやる親というものが不思議でならない。しかし今まで聞いたところによると誰もが"自分の子供が世界で一番可愛く見える"と言う。人間の脳とは実にうまく出来ているものじゃないか。
自分があのような時代を経て来たことが受け容れ難いほどに子供が嫌いである。子供時代を賛美する御仁が跋扈しているが、子供時代が"幸福"なのはあまりに低能で何も認識することができないからであり、そういう状態を幸福だと称して戻りたいと望むのならば、いっそ牛や豚にでもなってしまえばよいのだ。彼らは自分が屠殺され食われるために生かされている事さえ知らずに餌をたらふく食って満足しているわけだからな。
同様に、往々にして先に挙げた子供の特徴をほとんど兼ね備えているDQNも激しく軽蔑する。彼らの場合、脳内を満たしているのは排泄ネタではなくセックスのことばかりであるわけだが。しかも何故か大抵の場合は群れて行動している。つまり遭遇する時は必ずといっていいほど複数であるため腹立たしさ倍増となる。ついでに言うと見た目のケバケバしさと無駄な声のデカさも神経を逆撫でする。消えろ、俺の視界に入るな。ザコは黙ってろ。
リンカーンの言葉をパロディにすると、「神様はDQNがお好きだったに違いない。実にたくさんこしらえたのだから」[1]というような気分になる。
こういう文章はたいがいこの辺りで「しかし彼らにもいいところがあって…」とポジティブな方向に持って行かれるのがオチだが、僕のエッセイはここで終わりである。"いいところ"の欠片も見出したくないし見出せないし、彼らにそもそもどんな良さがあるというんだ!

[1]: リンカーンの言は「神様はブスがお好きだったに違いない。実にたくさんこしらえたのだから(God must have loved the plain people; He made so many of them.)」。

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北落師門

Author:北落師門
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