InAequabilitas

Date : 2012年04月15日

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毒劇物の危険性:LDに惑わされない

急性毒性の強さを比べる場合、最も頻繁に引き合いに出されるのが経口LD50である。何であるかは説明するまでもないのだが、簡単に言うと1グループの動物(マウス、ウサギ、ヒト、etc)に一定量の物質を経口投与(要は食わせる…)するとその50%が死亡する量のこと。もちろん値が小さいほど経口毒性は高い。
経口LD50を用いて毒性の強さを直に比較するのはやはり簡単であるし、説明もしやすく基準も明確だ。毒劇法や薬事法の毒劇物・毒劇薬の指定も基本はこれに依っている。NFPA704(所謂ファイアダイアモンド)、GHS分類、EU分類も同じ基準だったはず。だが、実質的な危険性を考慮する場合、これには大きな問題がある。



1. 値のばらつき

そもそも経口LDの求め方からして、一定の値に統一されることなど有り得ない。偶然その1グループのラットが揃って無駄に頑丈であったり、逆にひ弱であるかもしれない。或いはLSD(リゼルグ酸ジエチルアミド)のように、動物種によって感受性にかなりのばらつきがある物質もある[1]。しかも現在では動物愛護団体が何かと喧しいので、大量の動物を用いて精確なLDを求めるようなこともあまりされない。つまり参照する実験結果によって、分類の結果がかなり変わってきてしまうということだ。
実例としては、塩化バリウムBaCl2が挙げられる。EU分類はT(有毒)、GHSでの分類は区分3(飲み込むと有毒)であるにも関わらず、NFPA704の分類(健康被害)は一般に5段階中たったの2である。

[1]: LSDは一般的に、体の小さい動物ほど感受性が低いことが知られている。ラットのLD50が16.5mg/kgである一方、ゾウのLD50は遥かに小さい0.06mg/kgである。因みに人間では更に低く、0.003mg/kgと推定されている。



2. 投与経路の違い

上からずっといちいち"経口致死量"と「経口」を付与して書いているが、これもなかなか重要なポイントだ。経口であるのか、静注なのか、経皮なのか、或いはその他か。普通、静注や腹腔注射のLD50が最も小さい。だからといって、それを見ただけで物凄い毒だと思い込むのは早合点である。
例えば、バファリンなどで有名なアスピリン(アセチルサリチル酸)の致死量を見てみる。違うところで比較するのも狡いので、同じ動物・同じ研究グループでの値を用いる。ウサギのLD50なのだが、腹腔注射では500mg/kgである一方、経口投与では3倍以上の1800mg/kgとなる(参照元: Sunshine, I. (ed.) CRC Handbook of Analytical Toxicology)。
投与経路によって毒性が大きく変化する毒物もある。思い付くところでは金属水銀Hgやリシンだろうか。水銀化合物は毒物として有名だが、単体では消化管から吸収されにくいため毒性は弱い。しかし蒸気を吸入した場合は少量で高い毒性を発揮する。
リシンはトウゴマの種子に含まれる毒性蛋白質で、トリカブトのアコニチンよりも強力な毒だと僕は認識している。自殺目的で種子を貪り喰った例も少なからずあるが、生存率が思いのほか高いことに気がつくだろう。これはリシンが特殊な構造をしているがために、胃液や膵液によって消化されにくいことによる。ところが脂溶性の高さから経皮吸収されやすく、またエアロゾルとして吸入した場合も毒性はかなり高い。リシンの経口LD50は20-30mg/kg(ラット)と、毒物データを見慣れた目には大して驚くような数字でもないのだが、これが吸入になると2.7-5μg/kg(マウス)であり、先の経口致死量の約1万倍毒性が高いということになる。



3. 毒性物質の密度

密度も実質的な危険性にとって避けては通れない問題であるはずだ。同じ10gでも、羽毛と純金では体積に凄まじい差がある。毒物も同様。「うっかり飲み込む」ような量は、体積として大抵どの物質(固体)も同じようなものだが、生死を左右するのは体積ではなく重量である。
例えば1cm3のとある固体を嚥下したとする。もしそれが塩化コバルト六水和物CoCl2・6H2Oなら、重量は1.9gほど。体重60kgの人間にとっての致死量は推定80mg/kgなので4.8gとなり、飲み込んだ重量はそれよりかなり小さいため助かる見込みは高い。
ところがもし飲み込んだのが酸化カドミウムCdOであれば話は全く違う。結晶体の酸化カドミウムの密度は8.15g/cm3である。致死量は塩化コバルトとほぼ変わらない72mg/kgで、体重60kgの人間ならおよそ4.3gだ。しかし言う迄もなく、飲み込んだ8.15gから生還する可能性は低いと言える。
また当然だが、同じ化合物でも無水物かそうでないかでは密度が異なる。水は一応無毒と見なせるので無視すると、同質量中に含まれる毒性物質の重量は水和物である方がやはり低い。例を挙げれば、硫酸銅(II)CuSO4とその五水和物では、密度が3.6gcm-3と2.3gcm-3と差があるため、体重60kgの人間の致死量は(ラット経口LD50=300mg/kgを用いて計算すると)、無水物では18gだが五水和物は28gとなり、体積では更に5cm3と12cm3と、かなり大きな差が出る事がわかる。
長期保存によって変性している場合も毒性物質の含有量が低くなる。猛毒として誰もが知るシアン化カリウム(所謂青酸カリ)KCNは、空気に長期間晒されると二酸化炭素と反応して炭酸カリウムK2CO3に変化していく。これが何かというと単なる灰汁の成分であって、舌先で舐めたくらいで死ぬことはない。関連する実例がある。詳しいことは忘れたが、とある工場で従業員が青酸カリを少量舐めたところ、頭が冴えてすっきりしたような気がしたため、しばらくのちに眠気が取れないだか何だかでもう一度舐めたところ呆気なく死亡してしまったという事故である。一度目に舐めたのは廃棄されかけの古い青酸カリであったのが、二度目は新品だったというのが原因だという。



4. 味

愛犬家殺人事件の犯人はストリキニーネをカプセルに入れて被害者に飲ませた。直に料理などに盛らなかった理由は、ストリキニーネが1ppmでも苦みが認識できるほどに途方もなく苦いからである。
うっかり口に入れてしまった時、或いは他人に毒を盛られた時、もしその毒がストリキニーネほどではないにしても苦いものであったり妙な味がするのならば、きっと人は吐き出すに違いない。吐き出さないのは余程の味音痴か物好きかである。逆に言えば無味であるものや美味なものはそのまま飲み込んでしまいやすい。子供ならそれどころか、砂糖でも舐めるように口に入れ続けてしまうのではないか。
NFPA分類の健康被害分類が1から2、EU分類がXn(有害)、GHS分類が区分5というかなり毒性の弱そうなとある物質が毎年多数の中毒者と死者を出している。不凍液に用いられるエチレングリコールC2H6O2である。液体であり、大人の致死量はコップ1杯分ほどなので少ないといえばまあ少ないが、純度が高い状態で出回っている事があまりないことからすると致死量は多い部類だと言える。だがエチレングリコールは甘く、刺激性もない。このため子供やペットでの中毒・死亡事例が後を絶たず、また自殺目的で飲用する者も多い。
甘い毒物といえば酢酸鉛(II)Pb(OCOCH3)2もある。古代ローマの皇帝が発狂した理由やベートーベンが聾になった原因などがこれだと考えられている。青銅の鍋でワインを加熱するとそれにコーティングされた酢酸鉛などがワイン中に溶け出すことになり、ワインは甘くなるが長期的にそれを飲み続けると鉛中毒となる。そういえば最近(といっても80年代)も、高級甘口ワインと偽装する目的でジエチレングリコールC4H10O3が添加されたワインが出荷されたり、飲み薬に添加されたジエチレングリコールが原因で死亡事故が起こった事も度々ある。
別に美味でなくとも、いやむしろ無味であるほうが毒物は危険性を増す。グレイの「世界一美しい元素周期表」において、説明がその毒性についてしかなされていないタリウムTlがこれに当てはまる。グレアム・ヤング事件や東大技官殺人事件で有名な重金属で、化合物では酢酸タリウムTl(CH3COO)が特に無味であるのに加えて匂いもなく、色も白であるため、ヤング以前にも毒殺に用いられた事例がある。
無味のものや甘みのあるものはかつて殺鼠剤によく使用されていたが、誤食の危険が高いため今ではほぼ見かけない。



5. 匂い

固体は無臭のものがほとんどのように見受けられるが、液体の毒物には匂いがある事が多い。味と同じく、良い香りのものは飲んでしまうか多量に吸い込んでしまう可能性が高いだろうし、刺激臭や悪臭のする液体をわざわざ飲むようなこともほとんどないはずだ。
僕自身はベンゼンC6H6やトルエンC6H5CH3、メタノールCH3OHなどの有機溶剤の匂いが子供の頃から好きで、小学生の頃模造紙のマジックペン清書をいつも買って出ていたのを覚えている...。消毒用エタノールの匂いもとにかく好きだったので病院に行くのもむしろ楽しみだった。今でも楽しみだけど!こういう人物を有機溶剤だらけの環境に放置すると喜んで深呼吸してしまうので、白血病になったり幻覚を見たり失明したりする危険が大きいというわけである(爆)。
一方、その匂いのために中毒する危険が低くなる毒物もある。臭いといえば何よりもアンモニアNH3なわけだが[2]、小学生でも知っているメジャーな化学物質であるのに実は劇物指定されている。しかし0.1M程度の薄い溶液でもかなりの臭気があるためにすぐさまアンモニアの存在に気がつくし、敢えて大量に吸入したり飲み込んだりすることもない。
毒劇法による毒物であるアリルアルコールC3H6Oは、高濃度でマスタードのような刺激臭を発する。実験にすり合せのガラス器具が必要になるほどかなり凄まじい匂いであるため、不注意から摂取して重篤な中毒事故に繋がる事はそれほどなさそうである。

[2]: アンモニア臭は大便臭であると勘違いされていることが多いが、所謂大便臭とは高濃度のインドールによるものであり、アンモニアの匂いは全く違う。人によってはアンモニアの匂いが好きだという人もいるのだが...実例は僕の高校の化学教諭(笑)。



6. 体質の違い

同じ毒物を同じ体重の二人に投与するとする。双方を殺すのに必要な量が"誤差"や"ばらつき"では説明できないほどに大きく異なるというのは十分あり得ることである。
例えばカフェインC8H10N4O2の経口致死量にはやや幅があるのだが(150mg/kg-200mg/kg)、これはカフェインの毒性が年齢のほかに肝機能やモノアミン分解酵素の量等に左右されるためだ。もっと判りやすいところだと、酒に強い・弱いというのはアルデヒド酸化酵素の量によるもので、それが少ないとエタノールC2H5OHが酸化されて生じたアセトアルデヒドCH3CHO(有毒)が分解されにくいことになり、「酒に弱い」ということになる。
また、風邪薬のタイルノールの主成分であるアセタミノフェン=パラセタモールC8H9NO2はアスピリンよりも更に安全な薬として広く使用されているが、多量に摂取すると腎臓や脳に傷害を与え、死に至ることもある。自殺に使用される事もたびたびあり、有名なところではアメリカ炭疽菌事件の被疑者であったブルース・イビンズがタイルノールのオーバードーズによる腎機能・肝機能不全で死亡している。タイルノールの説明書を読むと、腎臓疾患がある場合は飲んではならないとある。引っくり返して言うと、腎疾患のある患者に対してはアセタミノフェンの毒性が一般より強く現れるということになる。
再び青酸化合物を引き合いに出す。ロシアの怪僧ラスプーチンは幾度もの暗殺を切り抜けており、そのうち二度がシアン化カリウムによる毒殺未遂であった。様々な原因が推測されているが、そのうちラスプーチンが無酸症だったためという説がある。つまり胃液が消失しているか、または薄くなっているような状態のこと。シアン化カリウムは酸と反応して青酸ガスHCNを発生し、それが吸入されることによって毒性を発揮するため、酸がなければ青酸ガスが発生せず、よって幾ら大量に盛ろうとも無意味になるというわけだ。



7. 相乗効果

単独での毒性はそれほど高くなくとも、特定の二つ或いはそれ以上の化合物を同時に摂取する事によって相乗効果が起こり、致死的なまでの毒性を示す事がある。よく薬の飲み合わせについて口やかましく言われる事があるだろうが、これも相乗効果のためだ。この場合は危険だからというほかに、薬効が低くなるからというのもあるのだが(鉄剤を緑茶で飲むと、茶のタンニンが鉄と結合して吸収を妨げるなど)。
酒(エタノール)は他のものと特に相性が悪いらしく、同じ鎮静剤であるジアゼパムC16H13ClN2Oと同時に摂取すると、鎮静作用が強すぎて中枢神経が過度に抑制され、呼吸停止による死の危険性が高まる。他にはドリアン(あの超臭い高級果物)とブランデーを一緒に摂るとかなり危険というのが南国の常識なのらしいが、理由はよく判らない。何か大量の気体が発生して胃が破裂するとかであったように記憶している。勿論ドリアンを単体で大量に食べても死にはしないし、ブランデーも酒豪にとっては安全な飲み物ではないか。
ただでさえ猛毒なコルヒチンC22H25NO6は医薬としての安全域が狭く、厚生労働省では痛風治療以外の用途が認可されていない。痛風治療にコルヒチンを用いている場合はグレープフルーツジュースと共に服用してはならない。CYP3A4やP-gpの阻害剤はコルヒチンの毒性を高めるが、グレープフルーツがまさにこれに該当してしまうからである。

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北落師門

Author:北落師門
特徴: 研究者気質(何)、厭世家、人嫌い、典型的ブックワーム。
大量の学問だけで出来ていると思う。詭弁と皮肉で武装している。
目の悪さが半端ない。あと、電話と食事と世間話が天敵。
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