InAequabilitas

Date : 2010年08月13日

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食について

僕はなぜか、食う事に大した幸福を覚えない。今に始まったことではなく、幼少の頃からそうだったらしい。ガキは「餓鬼」と書くくらいだから、飯食って遊んでいられれば幸福ではないかと僕自身も思うのだが、両親は僕に何かを食べさせようとするのに多大な労力を費やしたそうである。しかしどうしたことか写真を見ればその頃の僕は痩せているよりはむしろやや太っていると言ったほうが正しく、僕も両親も周囲の人間もみんな頭をひねっていた。

1つ下に従弟がいて、子供の頃一緒に連れられて街を歩くと「あら双子?」と言われるくらいに似ていた奴がいた(今は辛うじて兄弟程度に似ている)。あまり喋りたがらないが悪戯だけは得意という共通点があったが、食卓で最も差異が現れるものだった。僕は食事と聞くと、無関心そうか厭そうかという反応しかなかったが、彼はまるで食べる事に目がなかった。彼は腹が減ると不機嫌になるが、僕は食事のとき不機嫌になる。どれくらい幸福そうでないかというと、母親が「この子は味覚障害なのではないか」と真剣に疑ったほど。この<食わず嫌い>ならぬ<食嫌い>は現在にも続く。

今はどうかというと、胃が不調なのか(不調にしては中学から続いているから随分と長いが)ほとんど腹が減らず、丸一日食事を摂らなくても苦にならなかったりする。飲料はそれなりに摂るが、水や茶ばかりでもやはり腹は減らない。珍しく腹が減って何か食べてみても大して幸福ではない(飽食の時代の傲慢!)。逆に一日二食以上を標準量で摂ってみると気分が悪くなる。

仮に僕がビル・ゲイツとかアラブ豪族並の大金持ちになっても、1回1人の食事で1万円(日本円)以上取られるような高級料理は食べないだろうなあ。僕にとって食にそんなに金をかけるのは全くの無駄にしか見えないのである(どちらかといえばマイナーな本に10万掛けるほうが賢明だと思う)。いや勿論そこそこ旨いものを食べれば得した気分にはなるが、追い求める気分にはならない。

しかしどんなに旨いものでも、食べたくない時には旨く感じない。どうしても食べたくなった時に食べるのが一番旨いというのが僕の考えだ。それからいくら旨いからといって立て続けに食えばまた厭になる。それに、あまり旨すぎるものばかり追い求めてそれらをずっと食べていると<旨いもの>の範囲が段々狭くなっていってしまう。僕だって霜降り和牛のステーキは旨いと認めるが、僕自身はどれ程度で満足するのかというと、酸っぱめのホワイトグレープフルーツを丸ごと二つ剥いて食べればもうかなり得した気分になる(笑)。週に1回ぐらいずつ霜降りやフォアグラ(実はこれを旨いと思ったことはない)なんか食べていたらきっとグレープフルーツごときでは満足などできなくなるはずである。なかなか勿体無い気がするのだが。

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Irony, Satire and Truth

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北落師門

Author:北落師門
特徴: 研究者気質(何)、厭世家、人嫌い、典型的ブックワーム。
大量の学問だけで出来ていると思う。詭弁と皮肉で武装している。
目の悪さが半端ない。あと、電話と食事と世間話が天敵。
Detail/本棚

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