InAequabilitas

Date : 2010年08月

CURRENT MOON

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

理想の店って?

日本の家の近くのショッピングセンターに「お客様の声」という掲示板がある。面白いので行くといつも読んでいるが、あまりに荒唐無稽なので毎回どれか一つの投稿には必ず笑ってしまう。

「売っている子供用Tシャツの柄が気に食わない。どこそこの店ではこんなものを売っている。○○の柄のものを入れろ」じゃあそこに買いに行けって。「トイレに陣取って化粧し続ける若い女の群れがいる。あれを注意してくれ」店の知った事じゃないから自分で言えよ。「ポイントカードをお持ちですか、とレジで言われなかったからポイントを付けてもらい損なった」自業自得だろ。

そして少なからずあるのが、「いらっしゃいませと言われなかったので不快だ」!異世界の住民からの投稿であるか。僕にはどうしても「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」が不快なのだが。

店に足を踏み入れた瞬間「いらっしゃいませーっ」の大合唱。それも「せーっ」の部分は引き伸ばしながら音を持ち上げる(どういう事かは解ってもらえると思う)。客が入ってこなくても虚空に向かって「いらっしゃいませーっ」。僕の目には見えない生命体でも見えているのらしい。そしてたとえばブックオフでは合間に「本を売るならブックオフ♪」などという甘ったるい声のBGMが掛かる。大抵イヤフォンで耳を塞いでいるものだからBGMはあまり聞こえなくてすむが、挨拶は耳をつんざく大音量(人間の声だからよく通るのだ)。「やめてくれ」と言わないから一方的に恨む筋合いはないが、しかしとにかく嫌いだ。

どこのレジでもいちいち「いらっしゃいませ」と言われ、黙っていると「○○カードはお持ちでしょうか」と聞かれ、「ないです」と答えると「失礼いたしました」と言い、最後に「ありがとうございました」で送り出される。何が「失礼」になったというのか。毎回レジでも駅でも(人身事故が起こると謝られる)、「謝らなくていいのに」という声が頭の中を駆け巡っている。マニュアル通りにしか動けない彼らの事だから、直接言ったら目をしばたたかせて困惑するのだろうなあ。するとそんな非合理的なマニュアルを変えてしまえばいいという事になるが、冒頭に述べたようにかくも無意味な言葉を投げつけられたい人々がわんさといるのである。

僕にとって理想の店とは、店に入っても店員がみんな僕を無視しており、しかし商品について何か訊ねれば即座に答えが返ってきて、レジも支払うべき値段を告げる以外は無言、そして僕が店を出る時も無視してくれるという店なのだ。

え、不快だって?

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へにほんブログ村 哲学・思想ブログへ
スポンサーサイト

食について

僕はなぜか、食う事に大した幸福を覚えない。今に始まったことではなく、幼少の頃からそうだったらしい。ガキは「餓鬼」と書くくらいだから、飯食って遊んでいられれば幸福ではないかと僕自身も思うのだが、両親は僕に何かを食べさせようとするのに多大な労力を費やしたそうである。しかしどうしたことか写真を見ればその頃の僕は痩せているよりはむしろやや太っていると言ったほうが正しく、僕も両親も周囲の人間もみんな頭をひねっていた。

1つ下に従弟がいて、子供の頃一緒に連れられて街を歩くと「あら双子?」と言われるくらいに似ていた奴がいた(今は辛うじて兄弟程度に似ている)。あまり喋りたがらないが悪戯だけは得意という共通点があったが、食卓で最も差異が現れるものだった。僕は食事と聞くと、無関心そうか厭そうかという反応しかなかったが、彼はまるで食べる事に目がなかった。彼は腹が減ると不機嫌になるが、僕は食事のとき不機嫌になる。どれくらい幸福そうでないかというと、母親が「この子は味覚障害なのではないか」と真剣に疑ったほど。この<食わず嫌い>ならぬ<食嫌い>は現在にも続く。

今はどうかというと、胃が不調なのか(不調にしては中学から続いているから随分と長いが)ほとんど腹が減らず、丸一日食事を摂らなくても苦にならなかったりする。飲料はそれなりに摂るが、水や茶ばかりでもやはり腹は減らない。珍しく腹が減って何か食べてみても大して幸福ではない(飽食の時代の傲慢!)。逆に一日二食以上を標準量で摂ってみると気分が悪くなる。

仮に僕がビル・ゲイツとかアラブ豪族並の大金持ちになっても、1回1人の食事で1万円(日本円)以上取られるような高級料理は食べないだろうなあ。僕にとって食にそんなに金をかけるのは全くの無駄にしか見えないのである(どちらかといえばマイナーな本に10万掛けるほうが賢明だと思う)。いや勿論そこそこ旨いものを食べれば得した気分にはなるが、追い求める気分にはならない。

しかしどんなに旨いものでも、食べたくない時には旨く感じない。どうしても食べたくなった時に食べるのが一番旨いというのが僕の考えだ。それからいくら旨いからといって立て続けに食えばまた厭になる。それに、あまり旨すぎるものばかり追い求めてそれらをずっと食べていると<旨いもの>の範囲が段々狭くなっていってしまう。僕だって霜降り和牛のステーキは旨いと認めるが、僕自身はどれ程度で満足するのかというと、酸っぱめのホワイトグレープフルーツを丸ごと二つ剥いて食べればもうかなり得した気分になる(笑)。週に1回ぐらいずつ霜降りやフォアグラ(実はこれを旨いと思ったことはない)なんか食べていたらきっとグレープフルーツごときでは満足などできなくなるはずである。なかなか勿体無い気がするのだが。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へにほんブログ村 哲学・思想ブログへ

ピリオディック・テーブル

こんな机と椅子で勉強したいかも。
periodic_table
英語で周期表はPeriodic Tableと言うが、これぞまさにTable(爆

一人分にしては椅子が長過ぎるとか言ってはいけない…と思ったら、そういえば学校のカフェテリアとかに置けばいいではないか。化学嫌いの生徒にとっては食欲が減退するテーブルではあるけれど(笑)。

因みに僕の勉強机の周りには周期表が3枚と全天星図と宇宙図と年代別作曲家一覧(みんな日本からわざわざ連れて来た)が貼ってある。

周期表の枚数には突っ込まないでくれ…! 好きなだけだ!

にほんブログ村 科学ブログ 自然科学へにほんブログ村 科学ブログへ

作品の独立

日本に帰ってみたら、大相撲の野球賭博が云々で騒いでいた。そのうえ、お陰様で(僕にはどうでも良かったが)大相撲中継がなくなったそうである。
思うのだが、力士が野球賭博をした所で中継と何の関わりがあるのか。土俵の上において力士は相撲を取ることが仕事であり、力士としてその人物を見ている限り彼がほかで何をしようと関係ないはずだ。違法なことをしたなら確かに罰せられるべきだが、それは日本国の法が影響するひとりの人間として罰せられるのであって「力士」という肩書きとは関係がない。そしていかに某力士が酷い行いをしようとも、何もしていない他の力士とはまた関係がないのだ。今回の場所に出ていた<無罪>の力士にとってははた迷惑だったに違いない。

同様にして、たとえば某歌手の人柄が悪いからそいつの歌なんか聴かない(そいつの歌なんか良くない)という者がたくさんいるが(歌手でなくても、あらゆる芸術家やそれどころか科学者でさえも)、それもまた間違いと言えよう。

ある作家が自らの信念にまったく反した文章を書こうとも、その文章の内容はただちに全て偽にはならない。あくまで読者の感性・理性によってその内容が正しいかどうか判断すべきである。正しいと思ったら、いかにその作者が最低な野郎であってもその文章は「正しい」。しかし勿論、他人にとってもそれが正しいかどうかは判断できない。

モーツァルトは一個の人間としてはとんでもなく下品で陋劣な人間だったが、彼の音楽が天才的だとは大多数の人間がそう思っている(僕個人としては、彼の作曲技術が高いことは認めるが、作風自体は好きではない)。ある人間が「私はバッハが好きだ」と言う場合、それはバッハという人間が好きだと言っているのではない。バッハの作品が好きだと言っているのは明白だ。しかし現在は不思議なことに、たとえば「私は浜崎あゆみが好きだ」と言えば、浜崎あゆみの曲もステージパフォーマンスも人柄も顔も全部ひっくるめて好きだ、と言っているようにとられてしまうらしい。だがこの人が言いたかったことは「私は浜崎あゆみ (の曲)が好きだ」「私は浜崎あゆみ(の書く詞)が好きだ」「私は浜崎あゆみ(の顔)が好きだ」やその他どれである可能性もあるのに。
ある人間と彼らの作品は全く別に評価がなされるべきである。なぜならば彼ら(歌手、作家、画家…)の作品は物質として彼らから独立して残るからだ。彼ら自身がいかに作品Aを「出来が悪い」と評価していても、彼ら自身がいかに低俗な人間でも、作品Aの「出来が良い」可能性は大いにある。それどころか、技巧の問題外にあるところでは「出来が良い」「出来が悪い」は見る人間によってころりと変わってしまう。

しかし語られる言葉はその限りでない。言葉はその場で消えてしまう。物質とはならない。もしも言葉が何か記録に―紙や録音機に―残っているのならそれは「作品」と見なせる。だが語られた言葉は、語る人間自身のその時点での思想を色濃く反映し証明している。作品では、それが作られた時点での作者の思想は知る由はないが、<現に語られている言葉>は違う。だがこれも、その人物がいかなる人間であろうと言葉の内容が真か偽かには影響を与えない。「ハムレット」においてポローニアスは愚劣でこそこそした厭な奴だったが、彼がレイアーティーズの出発に際して語る教訓はそれなりに<正しい> (と僕は感じる)。しかし彼が自分の実際の思想に反したことを語っている、もしくはいつもは自分の思想に反した行動を取っていることは確かだ (戯曲という形で彼から独立して言葉が残っているのだが、演じられている場面を現在見ている観客にとって彼の言葉は<一瞬>。よって今は便宜上彼の台詞を<現に語られている言葉>とみなす。また)。それを「正しくない」と批難することはできる。つまり、彼の語っている内容が絶対的に正しいと仮定した場合(大抵あり得ないのだが)、内容でなく「語る」「行動する」という行為が正しくない可能性を持ち得るのである。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へにほんブログ村 哲学・思想ブログへ

強迫症

最近、手を消毒する(消毒液で)と微妙に幸福を感じるということに気がついた。そういえばひたすら手を洗ってばかりいるような気もする。やれやれ、今度は不潔強迫予備軍か。

ところで強迫といえば、今更思うと中学での僕の<摂食障害もどき>は強迫症の一種だったのではないかという気がしてくる。どんなものかというと、食事(通常量)を摂った後に吐かなければ<気が済まない>のだ。普通の嘔吐症とか拒食症は「痩せたい」という願望から起こるもの。下の写真が拒食症患者の心理を的確に表している。
eatingdisorder
過食症では直後の嘔吐をよく伴うが、これも拒食症と表裏一体といえる。しかし僕はまるで痩せたいとは考えておらず、ただただ<気が済まなかった>だけである。強迫症なら時期の前後から考えても説明がつく。

…何かどうでもいい…(笑)。

Irony, Satire and Truth

Biography

北落師門

Author:北落師門
特徴: 研究者気質(何)、厭世家、人嫌い、典型的ブックワーム。
大量の学問だけで出来ていると思う。詭弁と皮肉で武装している。
目の悪さが半端ない。あと、電話と食事と世間話が天敵。
Detail/本棚

Latest Articles

Comments

Trackbacks

Link

Categories

Search

 

Counter

Current Visitors:

Archives

Mail Form

Name:
Mail:
Subject:

Top

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。