InAequabilitas

Date : 2010年05月27日

CURRENT MOON

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変な言葉

どうにも「腑に落ちない」言葉というものがある。
「腑に落ちない」というと何となく利益面が絡んでくるようなイメージがあるのでやや語弊があるが、要はただ単に「変」な言葉ということだ。文法的に間違っているのではない。ロジックが違うというか、いややはりただ「変」だとしか言いようがない。たとえば-

『運命は変えられる!』
いやによく聞く言葉である。あまりによく聞くので何が変なのか一瞬わかりづらいが、まず話者は「運命」という語彙を用いている時点で「運命」の存在を肯定していることになる。しかし「運命」とは定められたものであり、人間の意志では変えられないものというのが定義だ。それを「変えられる」と来る。これはどう見ても自己撞着である。
前提1:運命は存在する
前提2:未来は自分の意志によって変えることができる
結論:???

『私は生まれた』
「生まれた」は自動詞だ。ということは話者は自らの意志で生まれたことになるが、しかし出生は選べない。最近のスピリチュアル・カウンセリングとか何とかは出生の意志を肯定しているらしいが、あれはまあ出生の問題に悩み続けて悶々としている者どもを自己満足させるための手段に過ぎぬ。とすると英語などでの「I was born」のほうが正しいと僕は思う。少なくとも意志があったなら僕は絶対に生など選んでいない(苦笑)。

『友達になろう』
これもまた耳慣れすぎて厭になる言葉のひとつ。同じようなものに「恋しよう」があるが、そもそも友人になったり恋人になったりというのはしようと思ってもできるものではない。こう言うと曖昧で凄く厭なのだが、友情や恋慕とは「なんとなく」始まるものではないか。話してみたらなんとなく気が合った、そしてなんとなく友人という集合の中に落ち着いた、みたいな感じである。「なろう」と言ってなる友人はまた逆に「友人やめた!」(何だこの台詞)と言い出すのも困難であろう。そして表面的には仲良さそうに笑いながら腹の底で相手を恨み呪っているという恐ろしい状況が発生するに違いない(多分)。

『一緒に…』(広告)
広告においてよく見かけるフレーズである。たとえば「一緒に夢を叶えましょう」だとか「一人で悩んでないで(中略)一緒に解決しませんか」とか。ああいうのを見るとなぜか非常に腹が立つ。理由は簡単。偽善的すぎるからだ。たいてい彼らが「一緒に」とのたまっているのはしごく労力を必要とする行為である。ところが彼らは広告からにやにや笑いかけるのみで、何もしない。何かするならそれも金の為である。それを「一緒に」と言うのだ。やたら腹が立つのは僕だけか。

おまけ:Macintosh
知人がMacBook Proを買った。今までWindows一筋でマックなんかほとんど触ったこともない奴である。操作が判らんというので僕のところに持ち込んできた。何か新しい機能はないかと(最新型だったのだ)、説明書をめくってみると1ページ目に…

「おめでとうございます。このMacBook Proはあなたに出逢うために造られたのです。」

いやあれは笑った。第一何が「おめでとう」なのかも判らんが、とにかく素晴らしいマック様なので許すことにした(笑)。

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Irony, Satire and Truth

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北落師門

Author:北落師門
特徴: 研究者気質(何)、厭世家、人嫌い、典型的ブックワーム。
大量の学問だけで出来ていると思う。詭弁と皮肉で武装している。
目の悪さが半端ない。あと、電話と食事と世間話が天敵。
Detail/本棚

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