InAequabilitas

Date : 2010年03月10日

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言葉と言語について

外国語というのは、本当に下手くそな時には逆にやたらと喋り散らしたくなるものであるが、しかしほどほどに上達してくると自信を失って全く喋れる気がしなくなってくる。再び口を開けるようになるまでには相当の進歩が必要となろう。

言語の壁には二種類ある。一つは日常会話の壁で、これは比較的容易に乗り越えることが出来る。母語であるならばこの壁は存在しない。その言語環境におかれて餓死することもなく、会話が成り立ったり学習ができたり大概の本が読めたりするもの。二つ目は外国語に限らず母語にも言うことができよう。高度な言語への壁である。一つ目の壁を越せばそれなりの文章が書けたりするものだがそうではなく、文を書くときにおいて「美しい文章」を目指すこと、会話において機知に富んだ切り返しができること、読解において高度な哲学書などを読めたりすること。これは意識せねば壁の存在にすら気付けない。もしくは越える必要もないので言語との闘争を放棄してしまうか。しかしこの壁を越えられれば真に文化的な人間に大きく近づくことができるはずだ。だがこの壁は実に険しい。

言葉は無力だが、無益ではない。たとえその場では無益に見えようとも、意志を持った発言は廻り巡って思いがけぬところで作用を発揮する。

言語において、上手なノンネイティブと下手なネイティブというのはやはりどこか違う。悲しいことにネイティブは下手でもネイティブであり、ノンネイティブはどう足掻いても結局はノンネイティブだ。因みに僕は、会話においては母語も非母語も絶望的なほど下手糞である。

慣れない外国語をうまく印象付けようとしてか、スラングやコロキアリズムをやたらと多用するノンネイティブの話者はひどく滑稽に見える。そういう表現をどこで使うかというのは長い経験でしか身につかない(それより、母語話者にしかわからないような気もする)。たかだか10年くらいの「経験」では足りない。教科書みたいに喋っているほうがよっぽど理知的だ。

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Irony, Satire and Truth

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北落師門

Author:北落師門
特徴: 研究者気質(何)、厭世家、人嫌い、典型的ブックワーム。
大量の学問だけで出来ていると思う。詭弁と皮肉で武装している。
目の悪さが半端ない。あと、電話と食事と世間話が天敵。
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