InAequabilitas

Date : 2008年12月16日

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裁判員制度批判、再び

ブックオフに行って、西野喜一著『裁判員制度の正体』(講談社現代新書)を買ってきた。まだちょっとしか(30ページ…)読めていないんだが見事だよ。

そのうち、と言うのか…「日本は欧米より一般人参加式裁判において遅れている」に対する反論がなるほど、そうかだった。
遥か昔は「神判」という制度があって、これは聞き覚えがあるだろう。たとえば被告人に熱湯に手を入れさせて火傷しなければ無罪とか。
僕が知ってる所では、焼けた鉄板を舐めさせるとか、毒豆(カラバル豆、エゼール)を食べさせるとか。そんなんじゃ表皮がしごく分厚かったりしなくちゃ必ず有罪になってしまう。
そして次のステップが「そんなんよりは人を呼んできた方が無難だ」って言って始まった。
それが今日の陪審・参審制の元祖。それぞれについては「裁判員制度」を参照で。
そのうち「じゃあ素人よりは専門家に任せよう」となる。それが今の日本の裁判制度みたいなものとして結晶した。

そう見るならむしろ欧米の方が遅れていると言える、と西野氏は書く。
そもそもなぜ「欧米だから進んでいる」んだ?そこから先入観に固まってないか。
各々の国の裁判制度は各々の国の文化とかに依存して決められる。無理に真似をする必要がどこにある?
アメリカは「何かあると裁判沙汰になる」っていうイメージが持たれる(そうだよね?)くらいに一般人に法律知識が普及しているし、訴訟というものが身近だ。
それに素人を参加させる為にアメリカ法はひどくややこしくなってるらしい。そこまで周到に準備した上で、陪審裁判ができるのだろう。
でもアジアの人々は基本的に訴訟が嫌いだ。好訴妄想かなんかじゃなきゃ滅多な事では訴えたりしない。だから司法世界が遠く思われている。
そこで欧米様を崇めるように模倣する。一般人にとっては迷惑極まりないし、意味もまるでない。

目的の中に「審理に『健全な一般常識』を反映させる」っていうのがある。そこがどうも気に食わないんだよな。
そうだ、ところで皆さんは「裁判官」に対してどんなイメージを抱くだろう。
冷徹?書類まみれ?頑固?自分たちとは違う?
考えてみても欲しい。司法試験に受かって修習を終えて現職に就くまでは、裁判官だって普通の「学生」だった。
何だい?エリートへの嫉妬か何かなのかい?
肩書き一つで人が変わってしまうことはないだろう。レトリックの世界では意味を持つのだけれど。
裁判官には「健全な一般常識」はないとでも言いたいのだろうか。それよりまず「健全な」って何なんだ?
おんなじ人間じゃあないのか。乞食、凶悪犯罪者、凡庸なサラリーマン、無邪気な学生、閣僚、一緒くたにされて怒る人もいるだろうが、怒って当然ではある。
おれは凶悪犯罪者なんかと決して同一人種なんかじゃないとか、あたしは乞食にはなんないわよとか言われそうだ。
そんなことが誰に断言できる?できるならそれは事実なんかじゃなく先入観に囚われてる事を申し上げておきたい。
話が逸れてしまったが、要するに「裁判官だから常識がない、だから事実認定なんかできやしない」というのは論点先取である。
誰かどっかの主婦が「あなたたちが六法全書を使ってひとを裁くように、私たちは常識を使って裁きたい」と言ったそうだが(丸田隆著『裁判員制度』より)、とんでもない。
そんなに裁判を自分でやりたいんなら司法試験にでも受かってくればいい。そんな難しいところ…って思うのなら、資格がない。そんなめんどくさいことしないよって言うのなら、責任感が足りないと言うしかない。

たとえば今目の前に瀕死の病人がいる。腹部を切開して腫瘍を取り除かなければ助からない。
そんなとき白衣でメスを持ってやってきた医者に、「お前は本しか読んでないんだからあてにならん、メスをよこせ」って言って病人を切り開き始めた奴がいたら、あなたはどう思うだろうか。
お前、そんなことしたら死んじまう、お医者さんに任せといたほうがいいよ、お前よりはわかってるさ、とでも言うだろう。
そこで相手が「おれの周りにはいっぱい腫瘍を患ったやつがいた。腫瘍のことならおれに訊け」と反論してきたらどうか。
おかしいと思うはずだ。それと同じことが司法界で起ころうとしている。それどころかそれが平然と―許されるようになろうと。
医療と司法は違うぞとどなたかは反駁するだろう。あれ?ひとの命や一生に関わるっていう大きな類似点があるんじゃないのかい。
被疑者や被告人の人権はよくないがしろにされている。「容疑者○○逮捕」っていう見出しが踊れば、「あああいつなのか、けしからん」と世間は息まき始める。
ああ先入観恐ろしや。そんなのをちょっとでも見てから裁判員に選ばれたら。
しかも被告人には裁判員つき審理を拒む権利はない。アメリカは確かアリだった気がするけど。
常識なんて人の数だけある。僕の常識はどうもひととだいぶ違うようだけど(笑)。ちょっとずつならみんな違う。
法という名の比較的それよりはましな基準を使ったほうがいいんじゃないのか。そりゃあ法律家の間でも条文解釈が分かれちゃうけど。
少なくとも常識よりは頼れるし、というか常識裁判が広まってしまったらもう法律なんか必要なくなってしまう。そんなの司法じゃない。ただの痴話喧嘩に過ぎない。
弁護人と被告人は余計弱くなり、有罪率だって下がらないだろう。
もし―普通のさいころを事件全体に喩えて。検察が3を見せる。「丸は黒い」。5を見せても、2を見せても「丸は黒い」。
裁判員はこう思う。「そうか、これは必ず白地に黒丸があるんだ」。
だが1を見てはいない。これは白地でも赤丸だ。

現行制度、僕は結構いいと思うよ。問題点もあるけどさ。裁判官にだって下らない奴もいる。
その下らない奴ばっかを取り上げて叫ばれると「裁判官は下らない」になってしまう。そして「裁判官は信頼できん」と。
政治家とか役人だって同じことになってる。真面目な人も多いんだよ。でもマイナス面のほうが情報としてウケるからね。
僕はマスコミがほんとうに嫌いだ。売れる情報しか宣伝しない。商売人の一種としては当然の話なのだけど。
売れないものを仕入れてても赤字を出すだけだ。そこは理解する。でも好きにはなれないな。
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Irony, Satire and Truth

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北落師門

Author:北落師門
特徴: 研究者気質(何)、厭世家、人嫌い、典型的ブックワーム。
大量の学問だけで出来ていると思う。詭弁と皮肉で武装している。
目の悪さが半端ない。あと、電話と食事と世間話が天敵。
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