InAequabilitas

Category : 随想批判

CURRENT MOON

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ついでの存在

僕はどう足掻いても「ついでの存在」だ。本質的に必要ではない。取り替えの利く錆付いた歯車。たとえ今は錆びていないとしてもいつかは錆び付いて取り除かれる、そんなようなもの。いや歯車ほどに没個性的でなくとも、少なくとも僕はビショップだ。一つが失われても、もう一つが役目を果たすだろう。
誰かのついでに話しかけられ、誰かのついでに視線を集め、誰かのついでに愛される。何を高望みしている?それは心臓に変身したがる片方の腎臓のような愚かしさだ。身の程を弁えろ、お前はどんなに希おうとも、たかだか片側の腎臓程度の存在に過ぎない。
片側の腎臓を切除しても、ビショップを一つ失っても、確かに人は痛手を負うだろう。しかしそれは一時のものだ。いずれ慣れていくだろう、失ったことを忘れてしまうほどに。
所詮心臓は一つの身体に一つ、キングは一人のプレイヤーに一つ。取り替えの利く存在のほうがずっと多いのだ。そのことに気づいたとき、人は連帯を失い、孤独に飲まれる。世界に一つだけの花にはなれない。
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面倒だなあ

無駄だ!無意味だ!何をしようとも全ては過去になり一瞬のうちにその実体を失ってしまう。記憶だけが辛うじて生き延びる。それでも記憶はいずれ死ぬ。現実は恐ろしいスピードで流れていく。身体はそれに引っぱられついていくが、意識がどうしても追いつかない。いつも現実のほうが僕の数歩先を歩いているようだ。過去を振り向く暇などないはずなのに、僕は振り返ってはげんなりしてばかりいる。今この場で為していることは全てするすると手中から逃れていく。意識が現実にぴったりと寄り添っていない限り、この無意味さは解消され得ない。いったいどうすればいいというんだ。
昨今の冷え込む朝晩は、はじめて自殺を決意した日のことを思い出させる。いつも一人で鬱々と過ごしていた一昨年の晩秋のことも。喉を刺す冷冽な空気が希死念慮を呼び醒ます。あのときも僕はこんなひんやりとした空気を吸い込んで、「そうだ、死んでしまおう」と心で呟いたのだった。
意識としての自我の境界は、身体ほどにくっきりと他と断絶されてはいない。自我は中心からグラデーションして色が薄くなっていく円のようなものだ。だから他者との境界を明確にすることなどできない。多かれ少なかれ、他者との間には色の重なり合いが生じている。そこは自分の自我でもあり、他者の自我でもある領域である。他者と自己は常に侵犯しあっている。それが自分の興味を向ける他者であろうとなかろうと関係はない。統合失調症者の「他者に自我を侵される感覚」は実際のところ、誰にでも起こっているのではないか。ただ単に気付いていないというだけで。

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猫の舌

これは何だろう。ざりざりと僕を舐める不快な感情。その感触は猫の舌にも似たような。得体も知れぬ、この奇妙なるもの。
いつの時代も、大衆はただアイドル[偶像]を欲している。(だからこそ選出する人物に過大な期待を抱いて幻滅していく。もうこれは政治ではない。顔と名を知られることが全てだ。そうでなければ彼らはどうして、臆面もなくスピーカーでがなり立てながら街中を選挙カーで走り回ることができようか。)
もう死にたがりぶる必要はないだろう?と白い錠剤が問う。それでも唐突に全身を突き上げる虚無感を、僕はどうする術もない。
地下鉄の中で黙り込んだまま座っている彼らにも名がある。しかし僕は彼らの名を呼ぶことはない。だから彼らは僕にとって永遠に匿名の存在であり続ける。名を呼ばないことで、対象を取り替えのきくものに留めておける。肩書きはそうするための恰好の手段だ。取り替えのきかないものが多ければ多いほど、一つでも欠けたときの痛みは大きくなる。自身の周りを匿名の存在に保つことは、100円ショップの雑貨で部屋を飾ることに似ている。気に入らなければ替えてしまえばいいのだ。そういうものであるべきだ。そうでなければ、どろどろとした沼の中で動きを奪われてしまう。

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ひねくれちまつた悲しみに

電車の中で突如として訪れる得体の知れない不安。周りに黙って立つ人々が何か不気味な存在のように思えるとき、彼らはみな並列分散処理型コンピュータなのだと考えてみるとじわりと不可思議な親近感が全身を浸していくのを感じる。それは単なる気休めに過ぎないのではないかもしれない。
絶え間ない騒音は、それを遮蔽し聴覚の外部へと追いやろうとする認識の中へと侵蝕する。自我の境界を見失うほどに。だからこそ僕らは適度な静寂を求める。希薄な音の中で聴覚は緊張をほどく。しかし透明すぎる静寂は、あまりにも知覚を弛緩させすぎてしまう。
オーストリアのとある教会の地下礼拝堂は、そんな静寂に満たされていた。地上を行き交う人々の足音や車の通り過ぎる音は分厚い土の天井に遮られ、そこに届くことは絶対にない。コートの衣擦れの音が石の壁に反射して響いた。僕は腰を下ろしてじっと祭壇のキリスト像を見ていた。本当に静かだとはこのことかと思った。音の真空の中で聴覚は音を探り続ける。どんな音も逃すまいと、遠くまで。あたかも暗闇で何かを見つけようとする瞳孔が、自身の大きさの上限も知らずに広がり続けてゆくような奇妙な感覚。知覚が弛緩する。どこまでが本当の自我なのか。それとも自我は無限に拡張しうるのか。
大学受験の頃を思い出す。11月のある日に銀行に検定料を振り込みに行った。僕は毎日ひどく憂鬱で、何のために生きるのかという陳腐な問いさえも考える気になれずにいたのだけれど、それでもなぜだか引きこもりに突入することもなく、ふらふらと日々を過ごしていた。(なぜその頃に線路に飛び込んでしまわなかったのか今でもよく解らない。)人と話すのは極力避けるようにしているというのに、大学は窓口での振込を指定するものだから仕方ない。窓口で応対に出たのはとりたてて特徴のないオバサン行員であった。そんなことはどうでもいい。払込票を僕に返すとき、「がんばってください」と言いながら彼女は"合格祈願 三井住友銀行"の鉛筆を差し出した。大学受験の検定料を払いにきた学生全てにそれを渡しているのだろう。もちろん合格祈願の文字が手書きであるわけでもない。それでも僕は戸惑うほどに嬉しかった。そのとき僕は普通名詞の中に漂流する存在ではなく、固有名詞になっていたから。マニュアルに組み込まれたサービスの一環だと判っていても、心が伴っていなくとも、行員はほかの誰でもなく一個人としての僕に"合格祈願"を手渡したのだ。
ごはんが美味しいということ。何かが楽しみだということ。くだらない話をして笑うこと。決して見失っていたのではない。模索しながらも半ば諦めかけていたそれは、自らの元に到来してなお微かな悲しみの影を帯びている。喪失の不安、未来への不信。こんな単純なことさえも真っ直ぐに受け止めることができないのは、きっと僕がすれたからだ。すれて擦り切れてしまっているのだ。擦り切れた心を嘆くこともできない。ひねくれた心根が自嘲と自虐という迂回路へと僕を押しやる。手に入れれば失うことが怖くなる。だから放り投げて全てリセットしてしまおうか。けれども僕にそんな思い切ったことができるはずもない。

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酔歩する自我

自分が解らない。「ただ独り信じられるのは自分だけだ」とは自身に陶酔する者が好んで口にする言葉だが、彼らはその言葉を本当に信じることができるだろうか。デカルトの思惟する「我」、フッサールの現象学的還元の原点。自己の連続性(そもそもこれこそ何なのだ)の"自明性"が揺らぐとき、これらの前提はいとも簡単に崩れ去る。難攻不落の砦たる独我論でさえ曖昧な存在になってしまいそうだ。
ヴォイニッチ手稿の暗号は、全く意味を為さないデタラメに過ぎないという説がある。所記を伴わない能記がありふれているように、動機を欠いた行動や対象を伴わない感情なども幾らでも存在する。"脈絡"からぽっかりと脱落してしまう。だから理由を探ることは無意味だし、不可能だ。けれども環境の中に墜落してしまった以上、それは行く先を探そうとする。行き先が暫定的にであれ設定されると、蜃気楼のように"理由"が見えてくるような錯覚に囚われるだろう。しかしそれは実のところ、「行き先」の逆方向への投影でしかない。
自我はブラウン運動よろしく浮遊している。自由意志などという貧相なエンジンだけではとても動かせそうにないほど、僕らの自我は鈍重なものなのだ。そこに"理由"を見ようとするとき、自身に絶え間なく衝突してくる他者の"自我"や外部の様々な存在に気付く。自我は容赦なく押し流される。"観測"の目は攪乱される。「自分が解らない」。シニフィエを忘却したシニフィアンのような自己。

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Irony, Satire and Truth

Biography

北落師門

Author:北落師門
特徴: 研究者気質(何)、厭世家、人嫌い、典型的ブックワーム。
大量の学問だけで出来ていると思う。詭弁と皮肉で武装している。
目の悪さが半端ない。あと、電話と食事と世間話が天敵。
Detail/本棚

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