InAequabilitas

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閉鎖病棟の中で

何年も何年も先延ばしにした死がこれからやっと訪れる. 誰かに途中で見つかってしまうことを恐れながら, 致死量のカフェインを飲む.
可能な限りロジカルに動こうと, 思考しようとしてきた. 論理を突き詰めるためにモデルを構築したら, 自殺が導かれた. 僕が寄り縋った論理は僕を殺すことになったわけだけれど, それに対して恨み言はない. 誰のことも恨んでいないし抑鬱すらもう消えてしまった. ここ最近はただ自殺の計画を立て, どのように閉鎖病棟から脱出するか, どれくらいの薬を飲めばいいのか, どこなら見つからないで済みそうか, そればかり綿密に考え, それを忠実に遂行することしか頭になかった. 衝動性は失われた. 主治医は僕を「死に対して冷静すぎる判断を下しているため非常にリスキー」と入院時に評価したが, まあそうなのだろう. 自殺計画だけがリアルさを帯びて迫り, それ以外の生活は全て偽物のようだった.
それなのに時折非論理が首をもたげる. 入院は恐ろしく暇なので性欲という厄介な雑念が浮上してきてよくない. 欲望は論理を薙ぎ倒していこうとする. 僕が自殺の理由を滔々と論理で固めて喋ったら, 主治医は「理屈じゃないんだよ」と言った. 理屈じゃなければ僕は納得しない, と応えて僕は頑固に結論を固持したが, 「理屈じゃないんだよ」を受け入れてしまいそうなほどに性衝動は非論理的である. けれども今まで性の悦楽の中で希死念慮や虚無を忘れたことはあったか?そんなことはなかった. それなのに, 虚無を一時的に忘れさせるほどの快楽を求めてしばし逡巡していた.
手っ取り早く意識に登場する具体的人間を用いて性欲を解消しようと試みるわけだが, 背徳感と自罰感情と申し訳なさが膨らむばかりである. 別に誰でもよかったのだ. 女だろうが男だろうが, そんなこともどうでもいい. その人間でなくてはならない理由などどこにもない. にも関わらず意識にはひとりの具体的人間が浮かび上がるので困っていた. 早く衝動を切り離して厳密な論理に立ち返りたかった. けれども性欲は厳然とそこに聳え立っていた. 僕としたことが, と情けなさに襲われている.
理性と欲望が互いを屈服させようと闘っている. しかしたとえ欲望が勝利しても自殺という結論は変わらないだろう. そして僕が死ぬときは必ず一人だろう. 二人で夢が見られないように, 死も個々人によって体験される. 「死の共有」は心中であっても起こり得ない. ひとは死ぬとき必ず孤独だ.
絶対零度の理性のなかでなお蠢く零点エネルギー, それが性的衝動であったのだろう. 愛されたいとはもう思わない. 愛情の力などとっくに信じていない. 誰でもいい, ひたすらに犯し犯されたかった. 嫌悪した性行為を求める自分に気がついて矛盾に苦悩した. その苦悩さえも密やかに甘いものに変えてしまうのだから, 欲望の非論理性は途轍もない. いま誰かと性的に繋がれば死なずに済むのか?そんなことは断じてない. そうだというのに, 相手の脊椎を頸から腰までゆっくりとなぞりたいし, 僕の傷に冷たい舌を絡めてほしいという願望ばかりが身体を突き上げた.
それが何になろう?現実には僕はここで一人. 誰に思考を白状することもなく, 黙々とカフェインを嚥下する. これから訪れる激しい苦痛を思うと, 被虐的かつ嗜虐的な興奮がわずかにある. 口にすれば思いはたちまちしゃぼん玉のように消えてしまうから, 文章にしている. さあ, こんなくだらない思いに悩む僕を, 蹴飛ばして嘲笑してくれないか. 何も僕の精神の水面を揺らすな. 僕は水が零れないようにそっとそれを運ばなくてはならない. どこに向かって?自殺に向かって.
何を期待しているのだろう. なんにも, なんにも, 期待などかけていない. 今度こそ僕は自殺を遂げるだろう. それは論理だ. 衝動は強制終了される. それでいい, それがいい.
全て今日でおしまい. 僕の世界は無に帰する. もう長い間泣いていない. もし失敗して病院で目覚めたら僕は涙を流すだろう. それはまた起こったら考えることだ. 今はなだらかにおだやかに, 死をただ待つ.
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結論から言うと, 頓挫の模様です. おそらく本日より隔離室での身体拘束が始まります. 人生最高

線香花火の明かり

ついに!この日が!訪れた!ここ数年で今一番喜びを噛み締めている.ひたすらに成功を願い,冷徹に計画を遂行していく.今日の昼が運命の分かれ目.世界脱出を賭けた勝負,何としても勝たなければ.
最後にやり残したことで,今すぐできることはないかとずっと模索しているのだが,よいアイデアが浮かばない.会いたい人間は?行きたい場所は?食べたいものは?ない,ない,ない,あらゆる生命活動がどうでもいい!睡眠不足から激しい頭痛がするな.鎮痛剤を飲みたいが,持ち込みの薬は入院時に全部没収されてしまった.頭を締め付けるような痛み,少しだけ視界が霞む.呼吸の仕方がぎこちなくなり,息が苦しくなる.それでも僕はこの上なくハッピー,必ずやり遂げてみせるからな.
最後の晩餐はカレー,レーズンサラダ,プリン.いつも通り5割未満を食して残した.いつも通りのメニューにいつも通りの味.最後の晩餐だからといって贔屓目には見ない.もう一食,朝食が残っている.またいつもの食パンと牛乳かな.ゼリーは出るだろうか.バナナかもしれない.コーヒー牛乳だったら少し嬉しい.そうだ,明日は錠剤を流し込むためのブラックコーヒーを買うのだ.ホットの缶ボトルコーヒー.僕が大学受験時代から愛し続けた味だ.エナジードリンクの類はどうにも好きになれず,それほどたくさん飲んだことはない.カフェインの喫煙(イーグルエナジー)も試したが,数パフでよいと言われているところを50パフ程度吸ってもそれほど効いている感じはしない.タバコ吸ったことがないので吸い方がおかしいんですかね.僕に一番合っているのはやはり錠剤であるらしく,それもエスタロンモカよりトメルミンの方が抜群に効く感触がある.高いのが唯一の難点.今回の自殺計画にも1万円弱のコストがかかっている.でも信じてるぞ.
数件,未着の郵便物がある.死ぬとわかっているならものを買わなければいいのに,「どうせ死ぬから好き放題買う」と言い訳して買ったものだ.無計画というよりは(通俗的意味における)確信犯である.まあ,別にいいか.後ろ髪を引かれる気持ちはない.
昨日は消灯後の廊下で結露した窓ガラスを拭きながら月食を見ていた.皆既食になったときあまりよく見えなかったのだが,暗いのに加えて窓ガラスが曇っていたためなのか,そもそも雲が出てきたからなのかはわからない.それほどに窓の結露はひどかった.「我が衣手は露に濡れつつ」だなあなどと思いながらガラスを拭う.皆既食が始まったくらいの時間に,ちょうど夜間巡視がやってきた.案の定「どうしました?」と聞かれ,用意していた「皆既月食を見てるんです」という答えを返す.事実であるので不審がられることはなかった.月が昇っていき,窓枠に遮られて完全に見えなくなったので部屋に戻った.
PCの画面を眺めていると,白いはずの背景にマゼンタやグリーンの模様がうっすらと見えるような気がしてくる.瞬きをすると白に戻る.睡眠不足のせいだろうか.入院前日から一度も質の良い睡眠をとっていない.けれども頭はぼんやりするどころか過活動状態である.むしろ脳が過活動だから眠れないでいるというのはある.USBを唐突に挿してすぐさま抜かれるように,とりとめのない思考が浮かんでは消える.線香花火のように脈絡のない単語が湧き出ては一瞬で弾けて消えていく.散りゆく火花を拾おうとして,けれども手のひらには何も残らない.
明日の朝は送電鉄塔の写真を撮ろう.きっと雪が舞っているだろう.再生を象徴する冬に死ぬ.でも再生はしないんだ,もうおしまいにするんだ.いつも呟いていたから,痛いほどわかっていた.「やり直したい,やり直せない」.取り戻せない過去が遠く僕を呼ぶ.僕は耳を覆いその扉を閉じる.

消失

いよいよ自殺が迫り来る.あまりに楽しみなので躁状態になっており,カフェインをプチODしたわけでもないのにテンションが高い状態が続き,多弁(といっても喋り止まないのではなくツイートが止まらないだけだが)で,些細なことで苛々する.死ぬ直前の人間は必ずしも抑鬱状態にあるわけではない.
今更最後に付き合った(?)相手から連絡が来て,会いたい,もう一度ヤりたい,という.酔っているわけではなさそうだが,いわゆる深夜テンションというやつであろう,「愛してる」などと宣うのが面白い.その手には乗らんぞ(笑).何を言われようと靡かない鋼の精神力を今の僕は持ち合わせている(ただし,中身が空っぽなので叩くと凹む).
死の直前が閉鎖病棟生活なので,思い出される新鮮な記憶がほとんど閉鎖病棟のことばかり.窓の外に聳え立つ送電鉄塔,根気よく僕に薬を飲むよう説得を続ける看護師たち,5cmしか開かない窓,夜間巡視の照らす懐中電灯の光,ビニールみたいなインゲン豆,冬の冷気で固まってパンに塗りにくいマーガリン,いつも変なふうに切れるトイレットペーパー,大学が一緒なので大学ネタでよく盛り上がる主治医の回診.何もかもが映画で見たワンシーンのよう.鮮明な記憶ではあるが,現実感が伴わない.
ツイッター(公開アカウントの一つ,現在は非公開)でフォロワーを振り切ろうと2日前くらいから政治ネタ・メンヘラ度の主張・学歴自慢・反社会的言説の投稿を繰り返してみせているが,一向に元々1200台だったフォロワー数が1200を切る気配がないので,人間のスルースキルは想像以上に高いものであるらしい.このアカウント,ずっと丁寧で明るい健常者,しかも政治や宗教など敏感な話はしない,のふりをし続けていたのに,豹変してもみんなついてくるのでよくわからない.ミュートも相当されていそうだが,通知は頻繁に来る.つまりなぜかこんな敵意剥き出しのツイートをちゃんと見ているひとも割といるということである.人間は不思議.
逆にある種のメンヘラポルノと化しているのであろう.僕が発狂していても画面を挟んで眺めていれば単に動物園の猛獣を檻越しに見ているのと同じで,自分は絶対的に安全だ.ただの「なんかウケること言ってるひと」に過ぎず,僕の自殺も重みはない.無料で観られるポルノショーである.刺激的な娯楽の一種に過ぎない.そういうものに成り下がっている.好奇の目で見られるのは昔から慣れているので,別になんとも思わないのだが.
いま過去を振り返っても,罪悪感と恥は感じるが感傷的になって涙が流れることは全くない.今まで積み上げて来たものを全て突き崩すことは,なんら悲哀を伴わない.けれども僕が死んだ後に残されるモノを思うと少し感傷的になる.祖父が死んだ後祖父の部屋に残された使いかけの大人用オムツや,吸われていないタバコや,食べかけの菓子を見た時に感じた,「モノが宙吊りになっている」感覚が原点にある.それらのモノには(少なくとも暫定的には)行き場所がない.僕の場合は壁一面を埋め尽くす本棚の本,愛用のMacbook Pro,病室の棚や冷蔵庫に残っている差し入れの食べ物などが,宙吊りになって行き場所を失うだろう.それらは一体どうなるのだろうか.本はタダ同然でブックオフやヤフオクに売り払われ,PCはリセットされて全てのデータが消え去り,まあ食べ物は誰かが食べるであろう.だからなんだというのか.少し深く突き詰めようとすると一体何がそんなに悲しいのかわからない.どうせ死んだら何も知覚できないんだぞ.売り払われる本やリセットされるPCを実際に見ることはないんだぞ.
宙吊りになるのは残されたひとびとの感情も同じであるのに,それには全く感傷的な気持ちを抱かない.まあ,本質的に冷血的で自己中心的だから当然なのかもしれない.僕に向けられる期待や関心は,僕が存在しなくなることによって行き先を失う.的に当たることなく落下していくダーツ.
もうすぐ死ぬのだからもう少し気の利いたことを書きたいのに,くだらない思いばかりがつらつらと綴られる.気の利いた人生だったらまともそうなことを言えていたかもしれない.でも僕の人生はくだらなさで彩られている.くだらなさしか詰まっていない袋から有意義な言葉を取り出すのは不可能である.今無理に有意義そうな文章を錬成したとしても,それは全くのフェイクに過ぎない.死の間際くらい,率直でありたいと願った.それでも他人と面と向かったらフェイクばかりを吐いている.それは嘘をついているということと同値ではない.例えば“e”を一切使わずに小説を書くとしたら(実際フランス文学でそのような小説は存在する),確かに文法的に正しい小説は書けるだろうが,作家が自由闊達に想像を働かせてそれを自在に文章に落とし込むということはできなくなる.使おうとした単語がeを含むならそれは避けなければならないのだから.嘘ではないが,リアルではない.
それではここにリアルはあるのか?「本当の」リアルではないにしても,僕が「リアルだと思い込んでいるもの」ではあるだろう.「絶対的リアル」など存在するのか?世界は「ほんとうらしいこと」の総体に過ぎないのではなかったか? (「ほんとうらしいこと」の総体に堕した世界のなかで,僕はいったいどこに浮かべばよかったのだろう.)

閉鎖病棟のリアル(隔離室編)

[一般病床編はこの記事]

この記事では知っているひとみんなが気になる隔離室の事情を書きますよ.隔離室とは,病院によって保護室とも呼ばれることがある,急性期まっさかりの患者であるとか深刻な自殺企図・自傷傾向が認められる患者のための個室である.端的に言って,殺風景.必要最低限のもののほかは何もない.扉には外から鍵が掛けられる.窓の外は基本的に見られない.トイレは自分で流せない.蛍光灯にはたとえ届いたとしても直接触れられないよう覆いがしてある.持ち込み制限はむしろ持ち込めるものを数えた方が早い.というか基本的に「何も持ち込めない」と考えた方がよいのではないか.僕は眼鏡が身体の一部になっているようなド近眼なのだけれど,眼鏡持ち込み禁止と言われた時はさすがに弱りましたね.数日後に主治医が来た時に「頼むから眼鏡だけは」と懇願してやっとOKが出たのだが.食事もろくに見えないのはヤバい.
世間一般には「精神病院=鉄格子」みたいな認識が定着していると思うが,少なくとも僕が入院した2病院は隔離室であっても鉄格子はなかった.もちろん一般病床にはなおさらない.
初入院時の隔離室は普通のベッド(とはいってもいわゆる病院のベッド)だったが,その後3回の入院で世話になっている病院の隔離室のベッドは,床に直置きされた巨大なスポンジベッドみたいなものであった.硬いところがないし,首を吊ろうにも紐などを引っ掛けられる部分もない.徹底的に安全です.
あとはお決まりの監視カメラ.ちゃんと見てるのかよと思うくらい,夜中に不眠でうろうろしていても(※眠剤が欲しい),昼間に不安から同じ場所を何度行き来していても(※頓服が欲しい),全く誰も反応してくれないのであるが,昼間に布団を頭からすっぽり被って存在を消していたら看護師が来て「大丈夫ですか?」と聞いていったので,見ていることは見ているのであろう.眠剤や頓服が欲しいなら察してもらおうとせずに看護師を呼べ,という声が聞こえてきそうだが,この病院のよくわからないのはナースステーションまで自由に歩いていける一般病床にはナースコールがついているのに隔離室にはナースコールがついていないことである.また,扉が厚いので扉を叩いて呼んでもまず聞こえていない.部屋の外を看護師が通りすがるのを見計らって扉を叩くとまあ気付いてくれないこともない,くらいの感じである.因みに初入院の病院の隔離室にはナースコールがついていたので,全ての病院がそうというわけではなさそうだ.
窓から外が見えないというのは,例えば初入院の病院の場合は窓に磨りガラス風のフィルムが貼ってあって見えないとか,2回目以降の病院の場合はそもそも建物の構造的に窓が引っ込んだ位置にあるため障害物だらけで何も見えないとか,色々なパターンがある.外が見える隔離室の病院もあるのかもしれない.この病院には「外界と一部繋がっている隔離室」がひとつあり,そこの窓からは(ほぼ全面向かいの建物の壁だが)空も見えるし天気がわかる.その部屋はトイレを監視カメラから見えなくする仕切りがある上,トイレが自分で流せるので,大変人権が保障されている感じがする.また,許可が出れば日中は病棟内の廊下につながる扉の鍵が開けられ,自由に出入りしてよいこともある.面会の知人に本を差し入れられて持ち込めたのもそこだ.閉鎖病棟の隔離室で中井久夫を読むのはめちゃくちゃエモい.
病状が安定していると判断された患者がそこに入れられる(可能性を持つ)わけだが,僕は見た目たんたんとしているため「安定している」と判断されてそこに移された直後に手首に巻かれていた包帯を使って首を吊ろうとし,あっけなく発見されて未遂に終わった上に身体拘束を食らうことになった.この身体拘束がまた世間一般の「頭の病院」のイメージに合致するもので,四肢と胴をベルトでベッドに固定して身動きが取れなくするアレである.食事とトイレ(しかも自己申告ではない)以外は起きていようが寝ていようが縛られている.寝返りも打てない.身体が痒くなった時に自由に掻けないのはつらかったですね.真の暇というのは何か,身を以て知ることができる.あまりに暇なので毎朝の回診とか体温測定とか薬の時間が心から楽しみになるレベルである.確か1週間くらい拘束は続いたと思う.
隔離室で一番の問題は暇すぎることであるが,次に問題なのは入浴が週2, 3回なことである.夏に入院したひと,メッチャつらそう.隔離室にいると「シャワー浴びたい」がメインの感情になってくるので,その点では患者を落ち着かせるのに成功しているのかもしれない.一度だけ例外的にシャワーの日でないがシャワーが許可されたときがあって,それは脳波を取る際に電極をつけるためのクリームで髪の毛がベタベタになっていたときであった.
良い点といえば隔離室のシャワーは大浴場でないことである.見たくもない他人の裸を強制的に見せられることもなければ,「お前のシャワーの水がかかる!」と因縁をつけられることもない.因みにシャワー中ずっと看護師が扉の外で待っていて,時間が少しかかると外から「大丈夫ですか?」と聞かれる.
病棟の洗濯機と乾燥機は使えないので,洗濯物は面会に来たひとに託すほかない.また持ち込みの服は着られないので隔離室の患者は全員病衣である.おやつタイムはちゃっかりある.面会に来るひとにおやつを差し入れてもらうとそれが中央管理となり,毎日のおやつタイムにランダムでどれか2つ程度が持ってこられる.そういえば初入院の病院,おやつタイムとかなかった気がする.
点灯・消灯・食事の時間のスケジュールは一般病床と同じ,食事も同じ.ただ時計がないので時間感覚が失われやすい.カレンダーはあるが,「今日」がいつなのかそのうちわからなくなる.
さすが隔離室という感じで,隣人はみな個性的.黙って希死念慮と幻聴に悩んでいる僕が一番まともそうに見える(自己採点).歌うたうひとあれば,昼夜問わず延々とドアを全力で叩き続けるひと,自分は神だと主張するひと,ブツブツと何やらを唱え続けるひと,実に人間多様である.今回の入院では隔離室行きにならなかったのだが(拍手),隔離室から時折叫び声が聞こえてくるので,様々なひとが様々な症状に悩まされていることがよくわかる.昼夜問わずドアを叩き続けるひとが一番印象に残っているのだが,彼(彼女?)のために僕の安眠は犠牲になったのであった.回診に来た医師が「いやあ〜賑やかですみませんねえ」と言った時に「賑やか…」と思わず脱力したくらいには,犠牲になった安眠の亡霊が僕に取り憑いていた.合掌.

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北落師門

Author:北落師門
死に至るまでのしばらくだけ,文章を書き散らすための場所

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